京都大学 都市社会工学専攻藤井研究室

京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻
交通マネジメント工学講座 交通行動システム分野

藤井聡:TPPを巡るウソ~『TPPが日本の建設産業を崩壊させる』:後半~

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(『中小商工業研究』2012年4月1日号)

TPPは「建設産業」の崩壊を導く

~『TPPが日本の建設産業を崩壊させる』:後半~

 

京都大学大学院教授 藤井聡

 

 

 以上、TPPの推進そのものを巡る数々の(そら)事を見てきたが、こうした認識は、徐々に国民の中にも知られはじめ、農業や医療・保険をはじめとしたいくつかの業界で、TPPに対する強い反発の声が上がっている。

 しかし、深刻な影響が及ぶであろうことが予期されているにも関わらず、ほとんど反対の声が上がってこない、不思議な業界もいくつか存在している。

 その代表的な業界が「建設業界」である。

 筆者はTPPが建設業界に及ぼす深刻な影響を、2011年初頭から主張し続けてきた。しかし、建設業界は驚くほどにTPPに対して無関心の態度を貫き続けている。

その背後には、建設業界特有の思いこみがいくつかあるようである。その代表的な思いこみが、

 

 事12)米国は日本の建設市場には入って来ないだろう

 

というものである。実際、これまでベクテルをはじめとした米国の大手建設会社は、日本の市場に参入することを失敗し続けてきた。

 しかし、米国は、日本の建設市場を決してあきらめてなどいない。そもそも日本の建設市場は、これだけの不況の中においてすら、米国を除く世界中の国々の中で、最大の市場規模を誇るものである。だから米国は、これまで日本の建設市場への参入を画策し続けてきているのである。

 そもそも日本の商習慣であった建設談合が法的に取り締まられるようになったのは、日本政府の自主的な判断によるものではない。米国からの「要求」でそうなったのである。そして、米国がそういう要求をし続けてきたのは、米国の建設関連企業が、日本に参入するために、日本特有の談合をはじめとする様々な商習慣が「邪魔」であったからなのだ。そもそも独占禁止法が強化され、公正取引委員会の権限が大幅に強化されてしまったのは、米国の様々な企業の日本市場への参入を促したい米国政府の強力な圧力に、日本政府が屈してしまったからなのである。

 こうした背景の下、日本の建設市場のルールが近年、大幅に改変させられてきたのだが、かといって、米国の建設企業は日本の市場に大幅に参入してきてはいない。これは要するに、未だ日本の建設市場に参入するには、米国企業にとっては様々な「障壁」があるからに他ならない。いわゆる「談合」はほとんど無くなったものの、様々な業者が受注できるように「発注ロットサイズ」は諸外国に比べて小さく設定されている。だから、米国企業が参入してぼろ儲け出来るほどの大規模な発注は未だ限定的である。それに加えて、いわゆる「トンネル発注」(元請けが受注した仕事の大半を、下請けに回すことが禁止されている)が規制されていたり、施工管理技術者制度など日本固有のルールがいくつも存在している。

 そもそも、各国の建設産業は、最も特殊な産業であり、それぞれの国に様々なルールがあるのが当たり前であり、だからこそ、簡単に進出することは容易ではないのである。

 しかし、米国の狙いは、

 「日本市場を、完全に米国市場と同じものに改変し、それを通して、豊かな経済大国日本で米国企業が簡単に商売ができるようにする」

 という状態を作り出すことである。つまり「日米の市場を一体化させること」そのものが米国の狙いなのであり、その狙いが実現するまで、米国は日本に対する市場開放要求を止めることはないのである。そして、その目論みの餌食にされてきたのが、「農業」であり「医療・保険」なのであるが、それらの市場に対する「侵攻」が終われば、すぐさま、最大の市場である「建設」にまで、米国の触手が伸びてくるであろうことは火を見るよりも明らかである。言うならば、「建設市場」こそ、米国の日本への経済侵攻から日本を守る「最後の砦」なのである。

 しかし、TPPに日本が加入すれば、日本の国内市場の最後の砦である、日本の建設市場への米国の「侵攻作戦」のお膳立ては、完全に整うことになってしまう。

 そうなれば、日米間にあるあらゆる制度上の相違が、「日本市場の閉鎖性」として非難され続けることとなる。そして、自由主義経済をあらゆる社説の基本に据えている日本の大手メディアも全て、その論調に同調することとなる(過去20年間、どれだけメディアが建設業界を叩いてきたのかに思いを馳せれば、この点については容易にご理解いただけるのではないかと思う)。そうなれば、日本の建設業界は、米国のみならず、日本国内のマスコミ世論によっても総攻撃を受け、日本の建設市場を米国に完全に開放せざるを得ない状況に追い込まれるようになるだろう。

 そうして日本の建設市場における「発注ロットサイズ」は早晩、米国並みに引き上げられ、中小の建設業者が受注することが厳しくなってしまうだろう。そもそも、米国には、よほどの事情がない限り中小の建設業者はあらかた「淘汰」されてしまっているのであり、日米の市場の同質化が進めば、日本に於いても多くの中小の建設業者が「淘汰」されることになるのは避けがたい。

 さらには、現在は規制されているいわゆる「トンネル発注」もまた、認められることとなるだろう。そうなると、現地の事情に詳しくない米国企業が受注し、それを、現地の事情に詳しい国内の建設企業に下請け発注するという事が横行することとなろう。そうなれば、発注額の一部が米国に流出していくと共に、国内の建設企業の収入はさらに減少していってしまうこととなろう。

そして何より、TPPにおいて進められる「資本の自由化」によって、デフレ不況で傷ついた国内の建設企業の「買収」が進むこととなろう。そして、米国の大企業の系列化が進み、受注額の一部が、米国に吸い上げられ続ける仕組みが創出されることとなろう。さらには、「弱肉強食」を当然のことと見なす「アメリカ型の経営方針」が日本国内においてますます採用されていくこととなり、日本の建設業界内の様々な習慣が、ますますドライで、アメリカ的なものとなっていくことだろう。そして、多くの建設関係の労働者が解雇され、中小の建設業者はあらかた潰されていくこととなるだろう。アメリカ企業というものは、日本人の普通の感覚では全く理解できないほどドライであり、社員の雇用を守り、社員の家族の暮らしを守るために事業を続けるという多くの日本人が抱いている当たり前の感覚をほとんど持っておらず、仕事上の長い付き合いを大切にするという風習も持ち合わせてはいないのである。

最後にもう一つ付言するなら、TPPに加入すれば、これまで以上に「安い」建設案件も建設コンサルタントサービス案件も、国際競争入札案件になるであろうことがほぼ確定的である。そうなれば、米国企業の日本市場への進出は、さらに進んでしまうこととなる事は避けられないだろう。

この様に、米国の何十年にもわたる「日本市場の開放作戦」は、TPPへの日本加入によって最終段階に至り、「最後の砦」であった建設市場もまた、米国の大企業達によって侵攻されてしまうこととなるのである。そして、日本の中小の企業はあらかた潰されていくことになっていくのである。

 その一方で、もしも日本の建設会社が米国市場に参入できるのならば、それで五分五分ということになるのかもしれないが、残念ながら、そのような未来は絶対に訪れない。

 そもそも、「各国固有のルール撤廃」が、このTPPの狙いなのであるが、日本ほどに様々なきめ細かなルールを持っている様な繊細な国は、世界中どこを見回しても存在していない。例えば米国に、日本人の様に社員や社員の家族をもっと思いやるような風習を持つようにさせたり、地域の発展のために「経営は苦しいけれど共に頑張ろう」と誓い合ったりするような文化風習を持つように圧力をかけ、それが成功するならそれに越したことは無いだろうが、そんな事が近い将来に現実的に可能となるだろうと思う日本人は一人もいないのではないだろうか。つまりは、各国固有のルール撤廃を徹底化したとき、最も多くのルールの撤廃をしなければならないのは、米国ではなく我が国日本なのであり、米国をはじめとする諸外国は、大したルール改変は不要なのである。つまり、ルール交渉において、「日本が一人負け」することは火を見るよりも明らかなのである。

 ここまで説明しても、大手の建設業者は脅威を感じないかも知れない。なぜなら、一定程度米国企業に発注を取られても、海外部門を一定程度増強したり、これまで中小の建設業者が受注してきた市場に参入すれば、ある程度受注額を維持していくことが可能となるからだ。

 ここに、TPPに対して大手建設業者が強く反発しない本質的な理由があるのではないかと思う。

 一方で、中小の建設業者は、「仮に海外大手が日本市場に進出することが合っても、まさか今、自分たちが受注しているローカルな小規模の事業に参入することはないだろう」と考えておられる方々は多いのではないかと思う。これもまた、建設業界でTPP反対論が大きなうねりとならない原因だろうと思う。

 しかし、ここまで読み進んで頂いた方々におかれては、それは楽観的に過ぎる見込みであることをご理解いただけるのではないかと思う。日本がTPPに加入すれば、今大手が受注している仕事に米国大企業が参入し、その結果今、国内大手は国内の中小企業が受注している市場に参入し、その結果さらに、零細企業が今受注している市場に中小企業が参入することとなり、より小さい企業ほど「淘汰」されていくこととなるからである。要するにTPPは「(米国の大企業ですら参入出来てしまうほどに)日本の建設市場そのものを大企業しか生きていけない様なモノに改変してしまう取り組み」に他ならないのである。

 このようにTPPに加入すれば、全国の建設企業が、早晩、根底から崩壊していくことになることは避けがたいのだが、そうなったとき、最も不利益を被るのは、実は日本国民なのである。

 洪水や土砂崩れ、地震や津波、豪雪などが頻繁に起こる我が国日本の国土の上で日本人が安心して暮らしていけるのも、それぞれの地域に中小零細の建設企業が残されてきたからである。さらには、このグローバル化が進む日本社会の中で、さしてグローバル企業と対抗出来るような産業を持たない様な地方を守り続けてきたのは、地方の建設産業が生み出す雇用であったという事もまた、地方の建設産業の重大な公的意義だったと言うことができるだろう。

 いわば、日本の中小零細の建設企業は、「半官半民」の存在なのであり、日本の国民の暮らしを守ってきた存在なのである。

 しかし、100%商売の論理だけで世の中の仕組みを作り替えようとするTPPは、そうした建設業者が担ってきた「半官」の側面を全く無視し、さながら「道ばたに咲く菜の花を戦車で踏みつぶしていく」が如くに、地域の建設産業を崩壊させ、人々の暮らしを破壊していくものなのである。

 こう考えればTPPは、単に損得の問題だけではない、という事をご理解いただけるのではないかと思う。それは日本人の暮らしと日本の風土、そして、日本の歴史を保守することができるか否かの問題ですらあるのである。TPPの賛否を巡る議論は、この点に思いを馳せぬ人々と思いを馳せる人々との間の、言うならば「人は何のために生きているのか」という問いを巡る論争でもあるのである。

 もしも、日本人がこれまでの様に普通の日本人の暮らしを守りたいと思うのなら、日本国民は是が非でも、TPPへの参加を拒否しなければならない。そのためにも、2012年は「勝負の年」になるだろう。おそらくは、年内に行われる「TPP参加を巡る衆議院の国会決議」で、TPPを否決する国会議員が半数に達すれば、TPPへの不参加が確定する。さもなければ、TPPへの参加は確定してしまう。TPPの衆議院での否決を導き得る政局を作り出すことができるか否か───2千年の歴史を持つ我が国日本の「国家の命運」は、(大袈裟な話でも何でもなく)まさにその一点に掛けられているのである。