藤井聡:沖縄祖国復帰40周年記念祝賀会に寄せて,2012.5.15.

沖縄祖国復帰40周年記念祝賀会に寄せて

 

   沖縄祖国復帰40周年,誠におめでとうございます.

   私は大和の国,奈良の生まれでありますが,大阪とは全く異なる文化を持っています.しかし奈良も大阪も関西文化を共有しています.東京に住んでいた事もありますが,その時,関東の文化は関西文化と全く異なることがよく分かりました.でも,関東も関西も私たちは大和文化を共有しています.そして,沖縄にもしばしば参上しますが,全く異なる歴史と文化を感じます.

   ただし,欧米や東南アジア,さらには韓国や中国や台湾にもしばしば参りますが,その時に感ずる違和の大きさと,沖縄の地で感ずる違和の大きさとは,比較出来ないほどの大きな差があります.なぜなら,北海道から沖縄に至るまでの諸地域はいずれも,「日本文化」「日本文明」を明々白々に共有する,国の家,つまりは日本という一つの「国家」の「家族」である一方で,他の国々は明確に,別の「家」の方々だからです.

   日本国民と欧米人や韓国人や中国人,東南アジア人との差に比べれば,大和の国・奈良と沖縄の差なんて,奈良と大阪の差と大差なきものです.にも関わらず,(いわゆる)「内ゲバ」のように僅かな差を近視眼的,病理的に強調して,沖縄は大和と異なるとことさら強調するのは度し難い愚かしきことです.もしそれが高じて,独立論や移籍論が僅かなりとも頭をもたげることがあるとするなら,日本という一つの家は,それこそ混乱の極みに至ることになるでしょう.

   それはさながら少々の兄弟間のいさかいを原因に,「こんな家,もう飛び出してやる!」と叫ぶ未成年の振るまいに比する事ができるでしょう.

   万一それを契機に,その未成年が本当に家を飛び出す様なことがあれば───それが北海道であろうが四国であろうが大阪であろうが───彼に訪れるのは「不幸」に他ならぬということは,誰もが予期し得ることです.そしてそうなれば残された家族の,そして何より,その「家長」の哀しみの深さたるや察するに余りあるものであります.

   無論,今の状況下で,直ぐさまにそのような事態が訪れるとは思えません.

   しかし,それを「そそのかす」輩が別の家の中に,そして何より,我々の家の中にも存在しているということを,心ある家族達は,冷静に認識しておかねばなりません.

   そしてその上で,家族の大切さを,今一度,深く深く理解しなければなりません.

   そう考えますと,「家族の崩壊」,あるいは柳田国男が忌み嫌った「家殺し」が日本中で今,進行し続けているということこそが,沖縄問題の深淵に位置する最大因なのだという構図が透けて見えて参ります.

   そうである以上,大東亜戦争,そして,60年前のサンフランシスコ講和条約と日米安保といった「沖縄問題」を我々が乗り越え,日本国家の家族皆の「和」を築き上げていくためには,沖縄文化の中に当たり前のように伝承され続けてきた「家」という濃密な概念と意識を,日本国民が全員,全身全霊でもって今一度,思い起こす事が何よりも求められているに違いありません.

   この40周年が,そんな近未来をもたらす契機となりますことを,心から祈念申し上げ,当方からのメッセージとさせていただきます.

 

平成24年5月15日

京都大学大学院・教授 藤井聡

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です