京都大学 都市社会工学専攻藤井研究室

京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻
交通マネジメント工学講座 交通行動システム分野

強靱化のために,B/Cで評価しきれぬものを見据えよ

建設通信新聞,平成24年10月17日

 

強靱化のために,B/Cで評価しきれぬものを見据えよ
(B/C再考:表記しきれぬ“定性”を見据えよ)

京都大学大学院教授 藤井聡


今日,巨大地震の危機が国民的にも共有認識されはじめ,中央政界においてもその対策としての「国土強靱化」が,基本法の策定も含めて真剣に議論され始めている.この流れの中で,「強靱化を図るなら,効果的に進めるべし」という前向きな議論も散見されるようになってきている.

筆者はこうした議論に全面的に賛同する.そもそも巨大地震による被害を限りなくゼロに近づける様な完璧な「防災」のためには,それこそ「数千兆円」程度の,政府の財源調達能力を遙かに超えた規模の予算が必要となる.したがって,「限られたな予算」の下で効果的に強靱化を果たすためには,より効果的であると見込まれる対策から順次に進めていく態度が求められる.

しかし問題は,どうやってその「優先順位」を検討するのか,という点である.

この点について,多くの識者や政治家は,「B/Cでその優先順位を付ければ良い」と主張している.例えば,元財務官の経済学者・高橋洋一氏は,「便益(Benefit)と費用(Cost)の比率(B/C)が1を上回っていれば、いくらでもやっていいはずだ.」(2012年6月28日Diamond Onlineより)と述べている.

この主張は裏を返せばすなわち,B/Cが1を切る事業は認めてはならない,という事を意味しているのだが,もしも「便益が完璧に測定できる」とするのなら,筆者はこの高橋氏の主張に大いに賛同する.

しかし,現状の政府の基準ではそうなってはいないのが実態なのだ.

今日の便益評価では,1)自然災害の被害の軽減効果,2)景気刺激効果,3)人口増加とそれに基づく経済効果,4)産業立地促進とそれに伴う経済効果,5)一定期間以上未来(50年後以降)の全ての便益,等の一般の国民が公共事業に期待する効果の「ほとんど全て」が,誠に驚くべき事に「全く」考慮されていない.つまり,現在のB/Cは,「地震が起こる確率はゼロ,公共事業の景気刺激効果はゼロ,しかも,インフラを作っても企業立地や人口集積は絶対に起こらないし,インフラによる便益は50年でゼロになる」という超絶に非現実的な仮定で算定されているのである.だから今日のB/Cのやり方をそのまま踏襲しながら,「1を切る強靱化事業は認めない」という姿勢で臨むのなら,適正な強靱化ができず,結果,多くの国民が巨大地震によって大量に殺められ,巨大な国富が失われていくであろうことは避けがたいのだ.

だから少なくとも,B/Cの基準を,上記の各種効果を考慮しつつ改善していくことが必要だ.そもそも,日本ほどにストイック(禁欲的)な仮定を施している先進諸国はどこにもない(もちろんこの背景には,長年,公共事業批判が続けられたという事情があることは言うまでもない).だから諸外国の基準も参照しつつ,B/Cの基準を適正化していくことが必要だろう.
しかし,B/Cを改善すれば,自動的になすべき強靱化対策が決定できるのかといえば,それは不可能だ.あくまでもB/Cは「評価対象」を決定した後で無ければ活用できないからだ.そして「評価対象」を決定するためには,基本構想を作り,それに基づいて基本計画を立てるという「質的な議論」が不可欠なのだ.

しかも,B/Cの基準の見直しにはかなりの時間が必要となることも間違いない.なぜなら全ての側面を適正に定量表現することは,絶望的に困難だからだ.

そうであるのなら,巨大地震がいつ起こるとも分からぬ状況の中で,我々が今,現実的に為すべきは,何よりもまず「現状」のB/C方式に「過剰」に固執するという硬直的態度を「捨て去る」ことなのだ.そしてその上で,B/Cでは評価しきれない様々な側面を可能な限り包括的に,「定量的」のみならず「定性的」にも検討しながら,より効果的な強靱化事業を全力を賭して見定めていく事が必要であろう.

無論,懐疑主義的な人々は「そんな『定性的』な評価なぞ信用できない」と言うかもしれない.しかし,そうした懐疑主義によって強靱化事業をとりやめれば,多くの国民が殺められる未来を回避することが出来なくなってしまいかねないのだ.だから我々は,B/C基準の適正化を図る努力を重ねると共に,効果的に強靱化を果たすための「質的な議論」を徹底的に重ねていく他ないのである.

いわば我々は今,震災が実際に訪れるまでの束の間の時間の間に,「日本の英知を結集した議論」を踏まえて効果的な強靱化を果たすことが出来るか否かを,天に問われているのである.そうである以上,B/Cをはじめとした計量化に最善を尽くすと同時に,計量化できぬものも全力を賭してしっかりと見据えねばならぬのである.