現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし

11月 30, -0001 by 未分類 No Comments

日刊建設工業新聞 所論緒論2011年 2月10日

現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし 


京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻 教授 藤井 聡



「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「経世済(けいせいさい)(みん)」という言葉が起源である。これは「世を(おさ)め民を(すく)う」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。

しかしこの言葉の含意は現代の「経済学」ではほとんど顧みられることがなくなった。例えば経済政策を考える分野が「公共経済学」と言われているのだが、わざわざ「公共」という言葉を付けねば公的政策を語れぬほどに「経済」という言葉の中から公共性が蒸発してしまったのである。

とはいえ現代経済学がそうであったとしても、経世済民の精神が日本から完全に蒸発した訳ではない。例えば柳田國男は貧困にあえぐ農民達を救うために立ち上げた自らの民俗学を「経世済民の学」と定義している。つまり字義からすれば民俗学者の柳田國男のほうが現代の経済学者達などよりもずっと「真の経済学者」たる存在なのである。

折しも今の日本では多くの民がデフレ不況のために苦しんでいる。給料は下がり、失業者が増え、若者の就職率は低迷する一方だ。多くの企業は倒産し自殺者数は大幅に増加した。こんな状況で「経世済民」を図らんとすれば、欧米をはじめとした諸外国が積極的に行っているような公共事業を中心とした「財政出動」による景気対策が是が非でも必要だ。

その理論的な説明は紙面の都合上また別の機会に譲るが、どうしてもここで指摘しておきたいことが一つある。

それは、大多数のプロの経済学者が「財政出動のような愚かな経済政策はすべきでない」と主張していることが、我が国で「財政出動」ができない重要な原因の一つになっている、という事実である。

経済学者の言説に直接触れることが少ない読者におかれては、信じがたい話なのかもしれないが、これは紛う事なき事実である。

その典型が「マンデル・フレミングの法則」なる1999年にノーベル賞を受賞した理論である。これは、「現代では財政出動をしても経済効果はない」ということを“証明”したことになっている理論である。多くのプロの経済学者者達はこの理論を持ち出して「財政出動などやめなさい」と口にするのだが、よくよく吟味してみると「インフレ」であることが前提となっており、今の様な「デフレ」には全く通用しないものである。

さらに「国債の経済理論」なるものがあるのだが、その中でも「国債発行に基づく財政出動には経済効果はない」ということが“証明”されていることになっている。しかし、それらはいずれも「国債償還を税金でまかなう」ことを前提としている。ところが実態は中央銀行による紙幣増刷ででも国債償還が可能であり、現政権ですらそうしているのが実態なのだ。

要するにプロの経済学者の多くが「非現実的」な特定の前提の下で研究を進め、そこで証明された事柄を政府に提言し、それに基づいて「現実的」な政策が展開されているのである。

なんと恐ろしいことだろう。たかだか学者の知的遊戯ごときもので現実の経済が動かされ、現実の多くの民が苦しんでいるのである。

繰り返すまでもなく、経済学とは「経世済民の学」たらねばならぬものなのであり、ノーベル賞奪取を至上目標とする学者共の知的遊戯であっては断じてならない。

無論「経済理論」の全てが無用であるはずなどはない。しかし、我々が経済理論を援用する際に忘れてならないのは、その理論を口にする学者先生の言葉や(まなこ)に、かつて柳田國男が(そして海外ではケインズ博士が)携えていた「経世済民の精神」が宿っているか否かを見極めるべし、という一事である。それが微塵も見いだせぬような学者先生の言葉などは、さながら幼児の戯れ言を扱うように優しい言葉の一つ二つをかけてあげつつ無視して差し上げればそれで事足りるのである。