「公共事業はもう古い」という発想こそが「もう古い」

11月 30, -0001 by 未分類 No Comments

日刊建設工業新聞 所論緒論2012年 12月5日

「公共事業はもう古い」という発想こそが「もう古い」


京都大学大学院教授 藤井聡


「2012年12月」,我が国は総選挙を迎えることとなった.前回の09年の総選挙では「コンクリートから人へ」を主要スローガンに掲げる民主党が歴史的大勝を果たした.すなわちこの時の総選挙は,「公共事業の否定」の是非が争点とされ,そして,それが選挙によって支持される格好となったのだった.そしてその後,公共事業が徹底的に,あるいは「過激」に削減されていくこととなった.

あれから3年──今回の総選挙でもまた,奇しくも「公共事業」が重要な争点の一つとなった.

ただしそれは,かつてのように「公共事業の否定」が問われるのではない.それとは真逆に「公共事業の推進」が問われることとなったのだ.

自由民主党は本年6月に「国土強靱化基本法」を国会に提出し,同じく公明党は(通称)「防災減災ニューディール推進基本法」を8月に提出した.そして両党ともその法案の基本思想を今回の総選挙の公約の最重要項目の一つに加えた.
これらの法案はいずれも,①首都直下地震,南海トラフ地震等の来たるべく巨大災害に向けて徹底的な「公共投資」を行う,②そのための財源を,日銀の金融政策の協力を通して十分に調達していく,そして,③それらの大型の公共投資を通してデフレ脱却と経済成長を目指す,といういわば「列島強靭化論」の政策思想に基づくものである.

自公以外の各党は,例えば民主党の野田首相は,自民党や公明党の「強靱化論」に基づく政党公約を「バラマキ型の公共事業」「古い自民党体質」という形で批判している.同じく,日本維新の会の橋下代表代行も「国土強靭化と言う名の下で、日本国中を公共事業で埋め尽くして、防災に少し強くなったとしても….城の中の経済が回らなければやがて滅びる」といった批判を繰り返している.

しかしこうした強靱化批判を「公共政策論の立場」から評価するなら,いずれも今日の状況についての徹底的な「事実誤認」に基づいているという様子が見て取れることとなる.

そもそも強靱化批判論者は「公共事業はもう古い」と主張するが,そういう思考形式,そのものが旧態依然とした「古い」ものにしか過ぎない.

第一,今我々は,2011年の東日本大震災「後」の世界に生きている.今何よりも求められているのは震災復興という超大型の公共事業だ.そしてそれと連動することが本気で危惧されている巨大地震に対応するための「国土強靱化」という大型の公共事業である.強靱化批判論者はあの大震災によって時代が大きく変わってしまった事を見過ごしているわけである.

第二に我々は,2008年のリーマンショック「後」の「静かなる世界恐慌」と言われる時代に生きている.08年以前,確かに日本経済は輸出拡大で支えられるという側面があった.しかし08円以後,欧米中韓の諸外国はいずれも不況にあえぐ「静かなる世界恐慌」に突入した.こんな時代に「外需主導」の成長は絶望的であり,だからこそ「内需主導」での成長を目指さねばならないのだ.実際,諸外国はこれまでとは「次元が違う」程の超大型の公共投資による成長戦略を断行している.いわば「強靱化路線」こそが,08年以後の新しい「グローバルスタンダード」な「最新式」の経済成長戦略なのである.

つまりは「公共事業なんてもう古い」という主張は,リーマンショックや東日本大震災「前」の古い時代の古い主張なのだ.「2012年12月」の今,我々日本国民は皆,リーマンショックと大震災「後」の時代のただ中に生きているという厳然たる事実を,そして,そんな新しい時代に求められる政策思想として「列島強靭化論」が供出されたのだという事実を,改めて深く認識せねばならない.さもなければ我が国は近い将来に,世界恐慌と巨大地震によって二度と回復できぬほどの深刻な傷を負うことは火を見るよりも明らかなのである.