京都大学 都市社会工学専攻藤井研究室

京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻
交通マネジメント工学講座 交通行動システム分野

「首都直下Xデー」に急ぎ備えを

 

【正論】 「首都直下Xデー」に急ぎ備えを

産経新聞,2012.5.28

京都大学大学院教授・藤井聡

 

首都直下地震がメディアでひんぱんに取り上げられるようになった。かねてからの公式発表でも、30年以内の発生確率は70%という恐ろしく高い水準だったのだが、東日本大震災によりその確率はさらに上昇している。

そもそも、過去2千年の日本の歴史の中で、東北太平洋沖で起きたM8以上の地震の前後10年以内には、必ず首都直下地震が発生している。今回も、相当程度の確率で近い将来、首都直下地震が襲うことは間違いない。

≪政府に不退転の決意見えず≫

そんな「首都直下Xデー」の被害額は100兆円超と見込まれており、最大で300兆円を超すともいわれている。これは、日本の国内総生産(GDP)の2割から6割に相当するもので、最悪の場合、東日本大震災被害の10倍程度にも達するという。

この巨大震災に対し、東京都をはじめ各自治体が様々な対策を講じようとしている。

だが、極めて遺憾ながら、野田佳彦政権は、消費税増税には不退転の覚悟で臨むつもりのようであるが、首都直下など巨大地震については、現在の政策方針が緊縮財政だという理由もあってか、十分な対策を講じようとする気配すらみえないのである。

「第二の関東大震災」は、前述の被害想定額の巨大さをもってしてもとらえきれないほどの、被害を我が国にもたらすものとなる。財政破綻論者がしばしば口にする「国債暴落Xデー」ですら比ぶべくもないのである。

第一に、「第二の関東大震災」は日本の中央政府機能の喪失の危機をもたらし得る。

東日本大震災で目覚ましい活躍をした自衛隊も、国土交通省東北地方整備局も、政府組織であり、首相を筆頭とする内閣の指揮と判断が必要であった。「首都直下Xデー」ではしかし、通信、交通インフラが寸断されるほか、首相官邸や国会議事堂、霞が関の諸官庁ビル、議員会館なども被災して、肝心の中央政府が機能不全に陥ることも想定される。

≪政府機能喪失で二、三次災害≫

中央政府の建築物は、「震度6強」までには耐えられる構造になっているが、「震度7」への耐震性は必ずしも確保されていない。大震災対策の主体が失われれば、大震災の被害が、二次災害から三次災害へと際限なく拡大していくことも危惧される。このため、政府のビル耐震強化、代替通信・移動手段の確保、政府機能の分散を図らねばならない。

極限状況下では、政府機能の喪失につけ込んで領土的野心を満たそうとする近隣諸国の火事場泥棒的「進出」も「想定外」にしてはおけまい。

そして言うまでもなく「皇統の安全の保障」も、国家の最大責務だ。関東大震災の折には、宮家の方々もお亡くなりになっている。皇居の耐震強化を万全にし、京都御所などを国家的に活用するなど、あらゆる可能性を迅速に検討していくことが必要であろう。

以上の悪夢のシナリオを仮に回避できたとしても、「首都直下Xデー」に、国家存亡にかかわるほどの巨大な経済的損失を被ることは不可避であろう。

数多くの木造住宅が倒壊し、その密集地は大火災に見舞われる。少なからぬ高層ビルも無傷ではすまず、沿岸部は液状化して、その結果、石油タンクから東京湾内に石油が流出し、炎上し続けることも十分に想定内だ。

地下鉄をはじめとする鉄道も安全とは言い切れず、線路の盛り土や軌道構造物の倒壊や崩落が案じられる。通勤ラッシュ時に発生した場合、何百もの人命が列車ごとに失われることともなる。神奈川県や東京都の沿岸域では津波の襲来も懸念され、沿岸部の地下道は浸水被害を受ける。

≪「トリアージ」の考え方を≫

そんな災厄にいつ何時見舞われても仕方がない状況に、われわれは直面している。であれば、「第二の関東大震災」の事前対策においても、優先順位を付けて救えるものから救っていくという「トリアージ」(識別救急)の発想を採用せざるを得ない。

ただし、「トリアージ」は、裏返せば、「見捨てざるを得ないものは見捨てる」という考え方でもあり、「全力を賭して迅速に対応する」態度が備わって初めて許されることである。「全然急がないトリアージ」などというものは、少なくとも道義上は、あってはならないことである。

したがって、我が国がかくも甚大な人的被害を及ぼす「第二の関東大震災」の危機にさらされていることが明白であるにもかかわらず、政府が対応を取ろうとしないのなら、それは、少なくとも道義的には許されざる存在となってしまうに違いない。

「首都直下Xデー」は、「瑞穂の国」である日本の、まさに「運命の日」とならざるを得ない。だからこそ、筆者は、我が国政府がこの巨大な危機を乗り越える強靱さを全力で確保しようとする近未来図の実現を、心から祈念してやまないのである。(ふじい さとし)