京都大学 都市社会工学専攻藤井研究室

京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻
交通マネジメント工学講座 交通行動システム分野

メディア対する海外の諜報機関工作――ミトロヒン文書を読み解く

言志、Vol. 4, pp. 81-87, 2012.

メディア対する海外の諜報機関工作――ミトロヒン文書を読み解く
藤井聡

<外患を招くマスメディア>

 日本人はどういう訳か、新聞やテレビで報道されているものは、正しいものだと思いこんでしまう傾向が強い。もちろん、国民の中に新聞・テレビに対する懐疑の念が皆無だというわけではないのだが、その懐疑の念が、多くの先進諸国の中でもとりわけ「弱い」のである。例えば、マスメディアの影響を分析対象としてきた政治心理学の実証的な分析によれば、日本人は欧米諸国のおおよそ倍程度の水準でマスメディアの情報を「信頼」してしまうと報告されている。逆に言うなら、日本人のマスメディアに対する「懐疑の念」は、先進諸外国の半分程度しかない、という訳だ。
 それだけ懐疑心が弱いということは、メディアに対する国民の監視の目が脆弱だ、という事を意味している。
 そうなると始まるのが、メディアの「暴走」だ。
 その代表的な事件が、朝日新聞の記者の「珊瑚礁損傷についての捏造記事」の事件だ。「沖縄のダイバーが珊瑚礁に落書きをした、なんと非道い事をするのか」という義憤に燃えた記事を朝日新聞の記者が新聞掲載したのだが、実はそれは真っ赤なウソであったことが後で発覚する。それはなんと、記者が自ら珊瑚礁に落書きをし、事実をでっち上げて作った捏造記事だったのである。
 もうこの一点だけで、普通の感覚を持った国民なら、朝日新聞を読む気が失せても良さそうなものだが、残念ながら、未だに朝日新聞を購読している読者は後を絶たない。そして、未だに、世論に強力な影響を及ぼし続けている。
 それもこれも日本国民が、メディアに対する懐疑の念が薄い事が根源的な原因だ。
 もちろん、どれだけ日本国民がお人好しだといっても、そんな捏造事件に繰り返し触れてさえいれば、徐々にメディアに対する懐疑の念は膨らんでいく事となるだろう。
 が、無論、現実はそうなっていない。
 それがなぜかといえば、日本国民が増える情報の内容を決定しているのがマスメディア自身だからである。つまり一応は、自らの捏造事件を報道することは報道するのだが、それを少々報道し、経営陣を少々変えれば「禊ぎ」が済んでしまったということにして、後は何も無かったかのように何食わぬ顔をして国民に情報を提供し続けているのである。そうなるとまた、国民の中に少々芽生えたメディアに対する懐疑の念も、「風化」していってしまう訳である。
 もう以上の議論だけで、マスメディアを信用せず無視、控えめに言うなら懐疑するのが道理だ、という結論を導きうるものではあるのだが――残念ながら──実態は、それよりもずっと「深刻」だ。なぜなら、日本国民の利益、あるいは、国益を意図的に「侵害」し「奪い取り」、奪い取った利益を外国に「売り飛ばす」という「売国」と言われる行為、あるいは、法律用語で言うなら広義の「外患」の幇助(外国と通謀して日本に対し武力を行使させる罪、あるいは、日本に対して外国から武力の行使があったときにこれに加担してその軍務に服しその他これに軍事上の利益を与える罪)と言って差し支えない行為に、日本の多くのマスメディア関係者が直接的に従事しているという「事実」を指し示す歴史的資料の存在が今、明らかにされているからである。
 その歴史的資料とは、「Mitrokhin Archives」(ミトロヒン文書)と呼ばれるものである(本稿におけるミトロヒン文書についての全ての記述は、「The KGB and the World: The Mitrokhin Archive II、by Christopher Andrew、Penguin、2005」に依るものである。なお、以下の文章で『』内の文章はいずれも、この書籍の直接翻訳文章である)。

<KGBの諜報活動についての最上級資料:ミトロヒン文書>

 ミトロヒンとは、ソ連崩壊直後の1992年、ソ連からイギリスに亡命した元KGB職員である。彼は、イギリスの諜報機関MI6の助けを借りながらイギリスに亡命する時に、実に「6つの大きなコンテナ」に詰め込んだ機密文書を、MI6に手渡した。
 このミトロヒン文書は、ソ連のKGBの諜報活動についての、文字通り「最上級の超一級史料」である。アメリカのFBIは、このミトロヒン文書について『これまでに得た情報では、最も完璧で、広範囲に亘り網羅している』と評し、同じくアメリカのCIAは『戦後最大の防諜情報の宝庫』と表現している。
 さて、このコンテナ6箱分の大量の文書はその後、MI6を中心に分析が進められた。分析にあたっては、「諜報活動史」に関する学術研究を専門に取り扱っているケンブリッジ大学のインテリジェンスセミナーの一流の研究者をはじめとした世界中の英知が集められた。そしてその分析内容は、「Mitrokhin Archive」「Mitrokhin Archive II」という一般書にまとめられ、今や、誰もが入手できる一般の洋書として販売されている。
 これらの書籍では、アメリカ、イギリスをはじめとした世界各国で、KGBがどの様な諜報活動を進めていたのかがまとめられている。そして、我が国日本におけるKGB活動の概要は、「Mitrokhin Archive II」の中の一つの章「JAPAN」に収められている。
 その章「JAPAN」の中には、日本社会党や共産党に対してKGBがどれだけ直接的な支援を行ってきたか、政府の外務省の中にどういう工作員を潜入させ、その工作員の活動によって、日本の政治にどの様な影響を及ぼしてきたか、さらには、産業スパイをどの様な手口で行い、それによって、どの様な利益をソ連が得てきたのか――といった諸点についての分析結果が収められている。
 そして、そうした情報の中に、「マスメディア」に対してKGBが展開してきた工作活動も明記されている。以下、その内容の翻訳を、いくつか紹介することとしよう。

<大手新聞社内部に潜入したKGB工作員による「世論工作」>

 まず、KGBが、どの新聞社の中に工作員を潜入させてきたのかについては、以下のように明確に記述されている。

『Mitrokhin氏のファイルには、1970年代にKGBのエージェントして活動した、少なくとも5人の日本人記者の名前が挙がっている。(これには日本社会党の出版物は含まれない)
・朝日新聞の記者、コードネーム「BLYUM」
・読売新聞の記者、コードネーム「SEMYON」
・産経新聞の記者、コードネーム「KARL (またはKARLOV)」
・東京新聞の記者、コードネーム「FUDZIE」
・日本の主要紙の政治部の上席記者、コードネーム「ODEKI」』

中でもとりわけ、朝日新聞については、次のように記述されている。

『日本の最大手の新聞、朝日新聞にKGBは大きな影響力を持っている』

 このことは、上記の「BLYUM」という朝日新聞内部の工作員が、朝日新聞内部で大きな影響力を持っていたこと、あるいは、BLYUM以外にも朝日新聞内部に複数の工作員が存在していた可能性を示している。
 なお、上記の引用部でも(これには日本社会党の出版物は含まれない)と補足されているように、「日本社会党の出版物」についての工作が、中央新聞に対する工作よりもより容易であり、したがって、より徹底的に展開されていたことは、ここで附記するまでもないところである。実際、Mitrokhin Archive IIでは、

『中央部はセンター日本社会党の機関紙で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと読んでいた』

と明記されている。この事は、KGB工作において、朝日新聞をはじめとした主要新聞への工作が重要な位置を占めていたという事実と共に、日本社会党の機関紙への工作はより容易であったことを暗示している。
 いずれにしても、新聞各社における工作員のミッションは、「日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう」とするものであった。
 例えば、かつてはソ連が日本の漁船を拿捕し、交流するという事件が頻繁に起こっていた。その拿捕は明白に不当なものであったのであるから、彼等が解放されるのは当然であったのだが、朝日新聞は次のように大きく報道したのだという。

『ソ連は本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束されていた日本人漁師49人全員を解放すると発表した。ソビエト最高会議幹部会の会長と、日本の議会代表団訪問団のトップである石田博英との会談中に発表された』

 ここに出てくる石田博英という人物はこのミトロヒン文書の中で、『日本社会党以外でKGBに関与した政治家の中で、最も有力なのは石田博英(コードネーム「HOOVER」)であった』と紹介されているKGB工作員である。つまりこの記事は、KGB工作員がソ連に赴き、日ソ交渉で「日本国民のために成果を上げた」かのような虚偽的な印象を与えると共に、ソ連側が日本に協力的になっているかのような、同じく虚偽的印象を与えようとした記事だったのである。いわば、KGBが画策した茶番を大きく報道し、ソ連に対する世論の肯定化を図る工作を、朝日新聞は展開したわけである。
 ただし、こうした活動を行ったのは、朝日新聞だけではない。しばしば世論において朝日新聞と対立する産経新聞においても、次のようなKGB工作の存在が記載されている。

『最も重要であったのは、保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった山根卓二(カントコードネーム)である。レフチェンコ氏によると、山根氏は巧みに反ソビエトや反中国のナショナリズムに対して親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員に対して強い影響を与えるエージェントであった』

 このレフチェンコ氏というのは、KGBの工作員で、後に米国に亡命を果たした、ミトロヒン氏と同様に、KGBの諜報活動の実態を我々が理解する上で極めて重要な役割を果たした人物だ。
 さらに驚くべき事に、KGBの工作員の規模は、数名という規模ではなかったことが、以下の下りから示されている。

『1972年の秋までには、東京の「LINE PR」の駐在員は31人のエージェントを抱え、24件の秘密保持契約を締結していた。特に日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部はソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした』
(筆者注:「LINE PR」というのは、KGBが内部の諜報組織である)

 これは驚くべき数字である。日本のメディア関係組織に、数十人クラスで直接的工作員、契約的工作員が潜入していたのである。
 なお、そこまでソ連側が、日本のメディアに食い込もうとしたのは言うまでもなく、上記文書に明記されているように、

『日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性』

がある、という「事実」を、ソ連側が見切っていたからに他ならない。誠に愚かな事であるが、日本国民のメディアに対する無批判さが、KGBに活用されてしまっていたのである。

<大手新聞社内部に潜入したKGB工作員による「諜報活動」>

 ただし、KGB側がメディアに接触したのは、「世論工作」のためだけではなく、「諜報活動」のためでもあった。メディア関係者の中でも特定のコネクションを持つ者は、なかなか一般には公開されない政府情報にアクセスできる、という特権が、一部のメディア関係者にはある。KGBは、こうしたメディアの特権を、工作に活用したのであった。

『日本の諜報情報の主要拠点である東京の駐在員が不在の1962年~67年の期間中、最も成果を上げたエージェントは、東京新聞のジャーナリスト、コードネーム「KOCHI」であった。彼は内閣や外務省のおそらく機密文書ではなかったが、相当上位のゴシップにアクセスできていた』

 そして、興味深いことに、こうした諜報活動でKGB工作員が得た情報を、ソ連中央部に伝達する手段として、堂々と新聞紙面が活用されていた様子が以下の下りから示されている。

『ジャーナリストのROYが書いた記事は、諜報情報の連絡において非常に貴重であった』

 以上に述べた世論工作、諜報活動とその伝達、という2つの種類の工作に加えて、日本人ジャーナリストのKGB工作員にとっての、3番目の重要なKGB工作として、さらなるKGB工作員の獲得活動が位置づけられていた事が、以下の下りから示されている。

『彼(筆者注:上述の工作員ROY)は中国で諜報活動を行った日本での諜報活動のパートナーでもあったKHUNの採用に尽力した』

<大手新聞各社内部の職員が、KGB工作員になっていった>

 ではKGBは、どうやって大手新聞社に勤める、恐らくは普通の日本人の記者達を、KGBの工作員にする事に成功していったのだろうか。
 この点について、Mitrokhin Archive IIでは、極めて端的に、次のように記載されている。

『メディアに属するKGBのエージェントの殆どは、主に動機が金目当てだったであろう。』

 これは文字通り、大手新聞社内部の一部の職員は、明確に「売国奴」であったことを明らかにしている。
 こうしたカネという動機に加えて、KGBは、大手新聞社の記者を「罠」にはめて、工作員化していく、という手口を活用していた様子が、次の下りに示されている。

『Mitrokhin氏の資料には、「SEMYON」については1970年代の初めにモスクワを訪問中、「彼は、不名誉な資料に基づいて採用されることとなった」とある。それは闇市場での通貨の両替と、不道徳な行動(KGBの「甘い罠」の1つである)であった』

 ここに、先にも紹介したが「SEMYON」とは読売新聞に勤務する日本人KGB工作員だ。つまりこの読売新聞記者は、モスクワ訪問中に、大手新聞社内部の工作員を探していたKGBに目を付けられ、カネと女の罠を仕掛けられ、それ以後──KGBから契約を破棄されるまでの間──KGBの言うことを聞き続けなければならなくなってしまった訳である。

<国民は、メディアの外患行為を認識すべきである>

 ──以上、本稿では、FBIやCIAが、最上級の諜報資料であると認定し、ケンブリッジ大学の研究者が分析を加えた「ミトロヒン文書」に記載されているKGBによる日本の大手新聞社に対する「工作」に関する記述を紹介した。
 ここまでお読みいただいた読者なら、日本の大手新聞社が、少なくともソ連が存在していた時期、どれだけKGBの工作によって歪められた情報を提供し続けていたかをご理解いただけたのではないかと思う。
 もちろん、筆者がここで紹介した情報は、このミトロヒン文書に記述されたもの以上のものではない。そして今日、ロシアによって各新聞社や日本国内の各組織が何らかの諜報活動・工作を仕掛けられているのか否かということについての的確な情報を筆者は今、持ち得てはいない。ましてや、ソ連以外の、例えば、中国共産党、あるいは、同盟国、友好国の諜報機関からどの様な工作が、メディアに仕掛けられているのかについて断定的に語りうる資料を筆者は持ち得てはいない。さらには言うまでもなく、それぞれの新聞社の中に、KGBの工作に荷担しなかった大多数の人々がいたことは間違いない事実なのであろうと思う。
 しかし、以上の「ミトロヒン文書」は、少なくとも以下の2つの事実の存在を、明確に示唆していると断定していいだろう。それは、

「日本の大手新聞社は、諸外国の諜報機関の重要なターゲットになりうる」

という事実、そしてもう1つは、

「日本の大手新聞社は、諸外国の諜報機関の工作員が容易に侵入し得る組織である。そしてそれ故に、“諸外国の諜報機関の意向に従った情報”、それは言うまでもなく“日本国民の利益を損なうであろう情報”を、意図も容易く国内に提供し続けるようになり得る存在である」

という事実である。 
 この2番目の事実は要するに、上記文書で固有名詞が上げられている国内の大手新聞各社は「日本国民の利益を外国に得る、売国行為を排除する免疫力を十分に持ち得てはいなかった」ということを、したがって、時に諸外国からの“誘惑”に負けるようにして「売国行為/外患行為を行う潜在的可能性、あるいは体質を持っている」という事実を明確に指し示していると言って良いだろう。
 ここで、ぜひとも読者各位には、日本の刑法の体系において、外国からの日本への攻撃(外患)を幇助する行為は、強姦や殺人よりもさらに重い国内最高の重罪なのだ、という事実をご理解いただきたい。無論、外患罪として立件するには、外国からの「武力」攻撃が存在することが重要な要件となるであろうから、大手新聞社においてKGBの工作を図り続けた「日本人達」を外患罪として即座に罰する事は容易ではないのであろう。しかしKGBの工作は、ソ連に利益をもたらす一方で我が国の国益を毀損するという基本構造を有するものである以上、少なくともその行為が外患罪に準ずる犯罪と見なすことは決して不可能ではないだろう。報道機関の社会的役割を考えるのなら、大手新聞社における海外の諜報機関への直接的協力は、それほどまでに、深刻、かつ、重大な犯罪なのである。
 ──とはいえ、以上の筆者の訴えにもかかわらず、多くの国民は恐らくは、新聞情報を明日からも鵜呑みにし続けるのであろう。
 しかし、そういう愚かな愚挙を国民総出で続けている限り、我が国に明るい未来は訪れ得ないことは明白だ。そして万一我が国に明るい未来が垣間見えたとしても、そんな明るい未来は、我が国の利益を狙い続けている日本以外の外国の工作によって、いとも容易くかすめ取られる事ともなるだろう。そういう近未来を全力で阻止するためにも、まずは本稿の読者だけでも、以上の事実を十二分にご理解いただきたいと、筆者は、切に願いたいのである。