「政治主導」の空語に惑溺 わくでき することなかれ

11月 30, -0001 by 未分類 No Comments

日刊建設工業新聞 所論緒論2008年 1月5日

「政治主導」の空語に惑溺(わくでき)することなかれ


京都大学 藤井 聡


民主党新政権は,「政治主導」「地域主権」「コンクリートから人へ」といったスローガンの下,各種ダムの建設中止や地方整備局の廃止など,国土交通行政における史上希に見る政策の大転換を打ち出している.しかしそれらのスローガンの多くは,内容を伴わない単なる「空語」にしか過ぎないという重大なる疑義が存在していることを,ご存じであろうか.

第一に「政治主導」という言葉であるが,そもそも「政治」とは「行政」を含めた統治全般に関わる現象を意味する.したがって「政治主導」という言葉は,国家官僚の行政権限の“増強”にすら繋がり得るものである.それ故,現状の民主党政権の振る舞いは「政治主導」というよりはむしろ「政権政党主導」なる言葉にて表現すべきものなのである.ところが「政権政党主導」という言葉では,何かしら「一党独裁政治」といったニュアンスを帯びてしまう¾¾,おそらくはその程度の理由で「政治主導」という曖昧な言葉が活用されているのであろう.しかし実態的にはその言葉の下で繰り広げられているのは「行政権の独立」を侵害し,国会での「議論」を軽視する一党独裁方式とすら重なり合う様な傾きを持つ政治運営方式である.そうした実態を糊塗(こと)するために「政治主導」なる空語が活用されている,そんな可能性すら考えられるところなのである.

第二に,地方整備局の解体の根拠として「地域主権」という言葉が使われているが,この言葉もまた空語にしか過ぎない.そもそも主権とは「他の意思に支配されない統治の権力」を意味する.したがって地域主権を標榜するなら,各地域は他者からの支配を排除するためにも,独自の軍隊や警察,中央銀行を持たねばならない.しかし言うまでもなく,そこまでの覚悟をもって「地域主権」なる言葉が用いられている様には思えない.

第三に,「コンクリートから人へ」という言葉があるが,これはダムや高速道路に投資することを止め,福祉や教育等直接人間に財源を使う政策方針を意味するものとして活用されている.しかしそもそもダムも高速道路も「人」が安心できる豊かな暮らしのためものである.そうである以上「コンクリートから人へ」の大合唱によって公共事業が軒並み中止にされることを通じて,かえって「人々の豊かな暮らし」が劣化していくことすら十二分に予期されるところでもある.

この様に考えれば,これらの言葉はいずれも,結局は国家官僚の行政権限を縮退させるために活用されているキャッチコピーにしか過ぎないのだ,という疑義が現実的に浮かび上がってくるのである.

しかし言うまでもなく,地域や国土に関する適切なる政治を展開するためには,「行政の継続性と新規性」や「中央と地方」,そして「公共事業による公益と様々な費用」といった数々な相矛盾する両極の間の平衡を図り続けることが不可欠である.それにも関わらず,空虚なるスローガンの下,なすべき議論を全て排除しつつ独断的な政策運営が繰り返されれば,平衡感覚を欠いた無数の矛盾を抱えた(いびつ)なる地域や国土へと荒廃して行かざるを得ないであろう.

しかし,人々が空疎なる空語に惑わされている限り,こうした冷静かつ客観的な認識が社会的に共有されることは無かろう.そうであればこそ,まず第一に我々は,そこで吹聴されている様々なスローガンに惑溺(わくでき)されることなく,現実に展開されている事態の冷静なる認識を志さねばならないのである.そうした作業があってはじめて,あるべき地域・国土政策が成立し得る可能性が立ち現れることとなるのである.