タクシー特措法改定を機に,乱暴で粗雑な自由化論に歯止めを

1月 14, 2014 by 未分類 No Comments

東京交通新聞 2014年1月1日

タクシー特措法改定を機に,乱暴で粗雑な自由化論に歯止めを

 

京都大学 大学院工学研究科教授 藤井 聡

  昨年11月,「特定地域における一般乗用旅客自動車運送業者の適正化および活性化に関する特別措置法」(以下,タクシー特措法と略称)の一部を改正する法律が国会で成立した.
そもそも,平成21年のこのタクシー特措法の成立時には,交通政策審議会ワーキングが設置され,その法案検討のために様々な議論が重ねられたのだが,筆者はそのワーキングメンバーとして,その議論に参画していた.しかし,当該ワーキングでの議論と当時成立した法律との間には,一定の「乖離」が存在していたことを記憶している.
 無論,こうした記憶・認識は筆者の単なる主観に過ぎないものであるが,要するに,議論においては,様々なデータや海外の事例,そして,新自由主義的/市場原理主義的な単純な経済理論のみならず,多様かつより豊穣な社会科学理論を踏まえた,至って理性的な議論が展開されたものの,法律制定の段では様々な制約(それは,当方からすれば様々な「抵抗勢力」と言って過言ではない諸勢力による抵抗)のために,ワーキングの議論を十二分に反映したものとは必ずしも言い難い法案となったのである.より具体的に言うのなら,議論においては,タクシー市場において推進された自由化は,様々な「弊害」を様々な人々に及ぼし,仮にそれによる「メリット」を全て考慮するにしても,それを遙かに上回る「デメリット」が生じ,それによって日本国家は大きな国益毀損を経験したことは,実証的にも理論的にも明白だったのである,したがって,何らかの規制を施すことが,国家公共の責務である,という趣旨の意見が続出したのであった.そして,ワーキングのとりまとめにおいても,表現方法については慎重な文言が用いられているものの基本的には上記の趣旨が一定程度認められたものとなっていた.しかしそれにも拘わらず,法案そのものについては,「再規制」については極めて限定的なものに留まり,十分に踏み込んだ内容とはならなかったのである.
 重ねてこれはあくまでも筆者の主観にしか過ぎないが,こうした経緯について,当方は大きな遺憾の念を抱いていた.いわば「議論で勝って,実務で負ける」という顛末に,忸怩たる思いでいた訳である.
 そんな中,タクシー特措法成立後は,その枠組みの下,いくつかの地域でタクシー市場,さらには,「タクシー社会」の適正化を祈念して,地域協議会等の座長を務め,「自主的な需給調整」のお手伝いをさせて頂いてきた.しかし,「太陽と北風」の比喩で言うなら,そういう「太陽」作戦(例えば「自主減車の呼びかけ」など)では,99%の成功を収めることが出来ても,どうしても乗り越えられない「1%の壁」が存在することがしばしばであった(先の例で言うなら,要するに「自主減車には絶対に応じない業者」存在する等).
 そうした現場を見るにつけ,「この世には神も仏も居ないのか──」と言えば少々大袈裟ではあるが,そういう何とも理不尽な心持になることがしばしばであった.
 そもそも,この理不尽の元凶には,「とにかく自由が一番」「規制というものは基本的に亜はワルイものだ」という思い込みがある(もちろんそれに加えて,そういう理屈を隠れ蓑にする,私利私欲の最大化を目指す一部勢力が存在することも間違い無いが,彼等が法案内容に直接影響を及ぼすことは必ずしも一般的では無かった.だからやはり,兎に角自由化は善,規制は悪なのだという「思い込み」,あるいは,凝り固まった「信念」「イデオロギー」こそが,我が国の法案を歪めている元凶なのである).
 しかし,もしも規制が全てワルイのなら,例えば道路での左側通行も信号規制も取っ払えばよいではないか.しかし,そんな「規制緩和」が如何に巨大な公益毀損をもたらすかは子供でも分かる.つまり,自由も過剰になれば悪徳になるのだし,規制も適正であれば善となるのである.この程度の当たり前の議論が我が国に於いて成立していないことこそ,筆者が常々感じてきた,忸怩たる思いなのである.
 そんな理不尽がまかり通り続けてきた我が国において,この度のタクシー特措法の改定は,久々に喜ばしい,明るいニュースなのであった.先の例で言うなら,「減車」が公益にとって必要か否かを国が判断し,国が公益のために必要であると判断すれば,業者に対して減車を「勧告・命令」が可能となったのである.この改訂があれば,先の例で述べた「1%」に対するかつては無かった強い「北風」を吹かせることが可能となるのであった.
 無論,今回の法改定が100点満点,完璧に満足が出来るものであるか否かについては様々な議論があることだろう.しかし,この法改定は我が国の立法が「兎に角自由化は絶対善である,と言うことは『無い』」という事を明確に宣言するものであることは間違い無いのである.
 ついては,我が国の行政がこれ以上の「理不尽」を重ねる機会を最小化するためにも,本法律が公益増進に向けて適切かつ強力に運用されていく事を大いに期待したい.それと共に,この一つの小さな立法行為が,我が国のあらゆる側面で野放図に進められてきた乱暴で粗雑で極端な自由化論に対して適切に歯止めをかける大きな一歩となる事を心から祈念したい.