建設外需に頼る愚を避け,内需こそを拡大せよ

日刊建設鉱業新聞、2010年8月25日号

建設外需に頼る愚を避け,内需こそを拡大せよ 

 

藤井 聡

 

日本の建設技術者の多くの先達は海外に大いなる貢献を果たしてきた.パナマ運河建設に貢献した青山士,台湾農業を支える嘉南大圳建設の指揮をとった八田與一をはじめとして,その例の枚挙に暇がない.

そんな日本ではあるが,最近とみに海外プロジェクトの必要性が強く認識され,政府においても「インフラ輸出」が重要な方針となってきている.

ただし,現政権が推し進めようとする建設産業の国際化の流れと,青山や八田の海外での活躍とでは,「動機」の次元において天と地ほどの相違があるということを見過ごしてはならない.かつての青山や八田は,世界の人々の幸福の増進を第一の目的としたものであったと伝えられている.しかし今の政府においては,「建設内需の冷え込みに対する対策の一つ」として「インフラ輸出」なる言葉が口にされているにしか過ぎない,という傾きが強い.

そもそもここ数年の政府予算の公共事業関係費の落ち込みには目を覆うものがある.かつて15兆円という水準にあったものが今や5兆円程度にまで落ち込んでいる.その一方で,建設産業に従事する労働者は,未だに日本の全雇用の約9%という水準にある.いわば,日本の労働者の1割の人々の給料の大きな割合を占める“官需”が,ここ10年余りで三分の一程度にまでなった,そしてその結果,数多くの建設関係企業は倒産や解雇(リストラ)を余儀なくされ,世間に大量の失業者が溢れることとなった——,これが今の日本の建設産業を巡る「惨状」なのだ.

こうした惨状は「自然」にもたらされたものではない.それは明確なる「政府の意志」によってもたらされたものだ.つまりは,日本国民の幸せを願うべき政府が,夥しい数の倒産と失業を生まれるであろうことを——そうと知りつつ——「意図的」に行った,それがここ最近の政府の所業なのである.

そんな惨状の中で建設産業が抱く不満を幾ばくかでも緩和するための「窮地の一策」として「インフラ輸出」と口にするようになった———,この政府方針はその程度の付け焼き刃的な代物にしか過ぎぬものであることは,広く万人が同意するところであろうと思う.

しかしこの政府方針には,極めて重大な誤りが少なくとも二つ含まれている.

第一に,確かに海外にはそれなりのインフラ需要はある.しかし,リーマンショック以降,そのインフラ需要を世界各国が虎視眈々と狙っているのだ.そうである以上,どれだけ必死になったところで,日本の“取り分”がどの程度になるのかは全く定かではない.つまり,そんな“建設外需”は,GDPの6%をたたき出す程に巨大な日本の建設産業が頼りにできるほどの代物ではないのだ.

そして第二に,政府の公共事業関係費の削減とは裏腹に,日本には切実なる“建設内需”が潜在している.水害・震災のリスク,渋滞,空港アクセス,中枢港湾整備といった様々な課題が日本にはある.そうした“建設内需”に応えることができるのなら,日本の経済力・防災力・文化力が大きく増進することは間違いない.

こうした「外需の不確実性と脆弱性」と「内需の確実性と切実性」という二点を踏まえるなら,お茶を濁すかの様に「インフラ輸出」「外需の獲得」等と口にすることは厳に慎み,建設内需の拡大こそを叫び続けねばならないという自明の真理に誰もが簡単に思い至るはずなのである.

もちろん我々にとって青山や八田が為した様な「世界への貢献」は,いつも時代も忘れてはならぬ重大項目ではある.しかしそのためにも,外需への過度な依存を回避しつつ,国力増進のための建設内需拡大こそが求められているのだ.なぜなら国力が増進すればするほどに世界に貢献できる余力を携えることができるからだ.我々は,人助けの実力が無ければ人助けなど能わぬことなのだという当たり前の真実を,片時も忘れてはならないのである.

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