藤井聡:新生日本への提言

月刊『致知』平成二十三年六月号  特集「新生」


はっきりと明確に、豊かさを求めた戦後は終わった。東日本大震災が示したものはそれである。日本は新生しなければならない。向かっていくのは日本の強靱化である。都市社会工学が専門である藤井聡教授が提言する日本復興計画。

 

新生日本への提言

京都大学大学院教授 藤井聡

 

一九九〇年代時代は大きく変わった 

敗戦の壊滅状態の中で、戦前戦中世代の日本人は、もはや生き残りなどどうでもいい、と一旦は腹をくくったと思います。まさに一度死んだつもりになって国の復興にそれぞれの人生を懸けました。

同時に、自分の子供たちにこんな惨めな思いはさせたくない。豊かな社会を残してやりたい。その一点に集中したのだと思います。これが戦後といわれる時代の一貫した基調であり、それを象徴的に示すのが田中角栄の日本列島改造論であった、と思います。そして、その成果は確実に現れました。

アメリカは世界のGDPの二十五㌫を叩き出す国です。一九八〇年代、日本のGDPはその二、三割といったところでした。ですが一九九五年になると、日本のGDPは世界の十八㌫となり、アメリカのそれの七割に達して、これを追い越すことさえ視野に入るようになりました。

しかし、それほどまでに順調であった日本は、一九九〇年代に、大きな転換期を迎えます。バブルが崩壊し、東西冷戦体制が崩れ、九五年の阪神・淡路大震災によって日本の地震停滞期も終わりを告げました。

これだけの大きな数々の転換に加えて、日本を豊かにすることに邁進してきた戦中世代が社会の第一線から退く、ということも大きな転換でした。そしてこれによって、思わぬ馬脚が現れたのです。端的な言い方をすれば、前世代に続く世代、私もその世代に属しますが、豊かにしてもらうことが惰性となり、いわば「ドラ息子」状態になった世代が日本社会の前線に躍り出たのです。

前世代の重しがなくなると、この「ドラ息子」たちの愚行は、公共事業削減、増税、ゼロ金利緩和などなどの非常識窮まりない経済政策となって現れます。

最も象徴的なのは二〇〇〇年から過激化した構造改革です。そもそも経済の分野でいう構造とは、一般社会の用語で言うなら「文化」に他なりません。だから例えば当時の小泉首相の「ぶっ壊す!」という叫びは、いわば文化大革命の狼煙の様なものといえるでしょう。構造改革と並行して行われたグローバル化もまた、日本の歴史と伝統が築き上げてきた文化の破壊の一翼を担います。こうして、前世代が構築したものをつぶすことに専念したのが「構造改革」だったのです。

 

一億総ドラ息子状態の日本に鉄槌が下された 

結果はどうだったでしょう。日本経済は停滞し、デフレにはまり込みました。新興国を除いては世界の経済が停滞しているのだから仕方がない、という考えが蔓延していますが、これはとんでもない誤解です。アメリカもヨーロッパも着実に経済成長率を確保しています。成長率が停滞しているのは、ひとり日本だけなのです。かつて世界のGDPの十八㌫を叩き出していた日本が、いまや八㌫あたりに落ち込んでしまっています。そして、日本の停滞ないし後退は、たとえば公共事業の削減と並行していることを付言しておかなければなりません。

しかし、この事態をもって批判を小泉政権だけに集中させることはできません。なぜならこの小泉政権を、小泉政権の政策を、日本人の七割が支持したからです。いわば、日本人全体が豊かにしてもらうことに慣れてしまった「ドラ息子」状態であったわけです。我々はこれを自覚しなければなりません。そしていまも政権交代といいながら、例えば都民を洪水の危機から守る八ッ場ダムをやめ、事業仕分けなるものを行い、「コンクリートから人へ」という珍妙な表現で公共事業をさらに削減しデフレに拍車をかける、そんな「ドラ息子状態」そのままの政権をいただいていることも知っておくべきです。

そもそもデフレは需要がなくなることです。そうすると当然の様に、人々の仕事がなくなっていきます。その結果、私たちの社会は豊かな社会から生き残りをかけなければならない社会になってしまったのです。日本人が営々と築いてきたものをつぶした結果がこれです。その端的な現れが、この期間の十数万人に上る自殺者数の増加です。これは「常識では考えられない様な経済政策であやめられた被害者だ、非常識な政策を推進した者はその加害者だ」、と過激な言い方をしたくもなるのは私だけでしょうか。雇用不安という危険が、多くの日本人の身に迫ってきたのです。

どうしよう、どうすればいいのだろう───漠たる不安が日本を覆っていました。これがあの日までの日本の状態でした。そしてそこにかの三月十一日の東日本大震災が襲ってきたのです。

 

自然治癒力の回復が復興だ 

私は以前から、三月二十三日の衆議院予算委員会の公聴会に呼ばれていました。そこでは、TTPは百害あって一利なし、こんなものは止めるべきだ、という話をするつもりでいました。だが、東日本大震災です。私は急遽、日本復興計画の緊急提言をまとめ、公聴会で述べることとしました。こういうと、いかにもにわか仕立ての粗製濫造の計画、と思われるかも知れません。

しかし、私は都市社会工学の専門家です。首都直下型地震は三十年以内に七十㌫の確率で起こり、東海・南海・東南海地震は三十年以内に五十~八十七㌫の発生率であることが、科学的に立証されています。これは大震災が確実に起こるということです。これを研究し、対策を提案できなかったら、何が専門家か、ということになります。私は以前からこの問題に取り組み、機会あるごとに述べてもきました。公聴会で述べた日本復興計画は、そんな研究に基づくものです。

その内容を詳述することは紙幅の関係でできませんが、その概要は短期集中的な東日本復活五年計画と長期継続的方針の日本列島強靱化十年計画から成ります。

まず、人間の集まりである社会とは何か、ということです。これは一個の人間に見立てることができます。これを社会学では社会有機体説といいます。社会を人間と見なすことで、復興とは何か、どうすれば復興が成るのか、ということがはっきり見えてまいります。

例えばダメージを受けている人間がいます。手がひどい傷を負っている。足が骨折している。そこでこれをろくに治療もせずに義手や義足に取り替える。これが復興でしょうか。そうではありません。その人が自然治癒力を回復し、自ら傷を癒し、自ら立ち上がっていく。それを助けるのが真の復興です。

菅首相は復興のためと称して、エコタウンの建設を打ち出しました。まさに義手をつけ、義足をつける発想です。そもそも被災した人たちがエコタウンに住みたいと望んでいるかどうかを考えれば、この発想の空疎さが知れるでしょう。

大地震と大津波が人びとから奪ったものは生活、暮らしです。その暮らしの核心となるものは人々の「生業」です。農業であれ漁業であれその他の地場産業であれ、人びとの生業を復活させる。そこに向かって集中していくのが復興でなければなりません。

そこにいくには順序があります。目茶苦茶にインフラが破壊されました。これを復活し、さらに災害に備えて充実させなければなりません。大規模な公共工事を起こし、例えば生業を奪われた被災失業者の力をお借りしなければなりません。同時に著しく低下した各種の公共サービスを充実させなければなりません。これにも人手が要ります。膨大な雇用機会が生まれます。これは被災地のみに止まりません。他の地域の失業者を吸収することにもなりましょう。

これが手始めです。仕事があり、収入があれば、それが土台となって自然治癒力が回復し、強化されていきます。生業が復活していきます。

私はこのプロセスを、「ふるさと再生」と名づけ、これを推進するために、国の出資を主体とした十年時限の行政法人、「ふるさと再生機構」の設立を、公聴会で提案しました。なお、こうした構想遂行全体に必要な復興事業費用は、ざっと二十三~四十七兆円と見積もっています。

 

近く必ず大震災が起こる 

首都直下型地震や東海・南海・東南海地震が三十年以内に、七十㌫、あるいは五十~八十七㌫の確率で起こる、ということは先に述べました。その確率の精度はさておき、早晩それが起こることを疑う専門家はいません。

そもそも日本列島は、地震によって形成されたといってもいいでしょう。それは東日本と西日本のそれぞれで太平洋側からプレートに押し込まれ続けたが故に列島そのものが「く」と逆の形に折れ曲がっていることからもうなずけます。繰り返し自然災害に見舞われ、それを乗り越えてきたのが日本人の歴史である、ということです。

ならば、常に自然災害に備えなければなりません。だが、近年はそれを怠り、最近はそれが風潮になっています。そうさせている一つに、日本のインフラは世界一充実している、という迷信があります。そうなのです。これは迷信なのです。

例えば、道路事情の国際比較のグラフがよく使われます。日本の道路敷設密度はダントツ世界一と表現されています。しかし、そのグラフをよく見ると、「可住地域あたりの道路延長」での比較であることが付記されています。もともと日本は山国で、人間が住めるのはせいぜい国土の二割程度です。ですが、ヨーロッパなどはほとんど平原、国全土が可住地域です。一方は国土の二割、一方は国全土と、分母の取り方を違えての比較なのですから、日本の道路敷設密度が世界一になるのは必然です。しかも、道路は可住地「以外」にもつくるのですから、その尺度自体がナンセンスなものです。一方で「保有自動車あたり」を分母にして比較すると、日本の道路敷設密度は先進国の下位(高速道路では最下位)となります。そして、その尺度での比較の方が、ずっと合理的、理性的なのです。

このようなまやかしは、あらゆる場面で行われています。なぜか。もうインフラは十分、公共事業は必要ない、という、いわば「迷信」をつくりだすためです。そして、この迷信が罷り通ったからこそ、コンクリートから人へ、という流れが国政の中心にまですんなり通るようにもなったのです。

しかし、例えば今回の大地震では大堤防があったために守れた村があります。岩手県の普代村です。隣町は甚大な被害を被ったにも関わらず、十五㍍の堤防があったことで全住民が浸水の被害にすら遭わなかったといいます。

この事実は何を物語るのでしょうか。大災害が現実に迫っているのです。それに備えなくて、何が政治でしょう。人のために何が必要なのかを思えば、その必要なものの中にコンクリートも当然含まれるわけです。そうした事も含めて、大震災に備える術を述べたのが、東日本復活五年計画に続く列島強靱化十年計画です。

 

首都機能移転は強靱化の柱

この計画の要点は、色々な局面で、一重の備えだけでなく、それに代替できる「スベア」を構築することです。東日本大震災では一つのインフラが破壊されると、もう手も足も出なくなってしまいました。

こちらがダメならあちらで代替する。あちらがダメになればそちらを使う。太平洋側の高速道路が、鉄道がやられたら、日本海側のものを使う。それもダメになったら山間部のもので。こういう姿を構築するのが列島強靱化です。

インフラだけではありません。東日本大震災では自動車の小さな部品を作る小さな工場が被災したために、世界の自動車産業が影響を受ける、ということがありました。民間でもスペアを用意しなければなりません。生産設備のスペアを築くだけでなく、取引先のスペアを用意する、といった経営が大切になります。

これを推進していくのが列島強靱化十年計画です。もちろん十年で完璧を期するのは難しいかも知れません。しかし、強靭化のためのその基本部分を十年かけてやりぬくことは可能なはずです。

予想される自然災害で、私がもっとも恐れているのが、首都直下型地震です。例えば国会開催中で国会議事堂が倒壊し、首相以下の政府首脳がすべて犠牲になってしまったようなケースを想定してみてください。早速に自衛隊に災害救助の命令を発する命令者がいなくなってしまうのです。東日本大震災での菅政権のリーダーシップはまったく希薄でおぼつきませんが、それでも政府があるだけましです。これがまったくなくなってしまったら、大混乱は必定です。例えば同盟国が、無政府状態の日本の治安維持という事で進駐してくることもあり得ることでしょう。さらには、それと前後して、日本に何らかの野心を抱く国が好機到来とばかりに何らかの形で進出してくる可能性も否定できません。そうなったら文字通り国家存亡の危機になります。このような事態は絶対避けなければなりません。

そのためには首都機能を移転させなければなりません。これは日本を強靱化する一つです。

直下型地震の可能性が高い首都東京に司法、立法、行政の全機能を(どれだけの地震が来ても政府機能を持続可能であるという保障も無しに)置いておくのは、極めて愚かな状況です。だからこそ首都機能の移転は浮き沈みしながら、戦後ずっと論じられてきました。一九九二年には国会移転等に関する法律が国会で決議され、首都機能移転は法的裏づけを備えました。一九九九年には国会等移転審議会が候補地を検討、答申もしています。

だが、世は「ドラ息子」の世代となり、自ら守ることを知らないこの世代は首都機能移転の重要性をすっかり等閑視してしまいました。今では首都機能移転が論じられることはほとんどありません。首都機能移転を担当する課は国交省にありますが、今年度の予算は大学の一研究室にも及ばない額で、来年は廃止と決まっています。

何たる逆行でしょう。これでは日本を弱体化させているとしか思えません。首都機能移転を含めた政府中枢機能の安全の保障は日本の強靱化のためには不可欠です。

強靱化に逆行するものはまだあります。自然災害は地震や津波だけではありません。台風もあります。河川が氾濫する洪水もあります。これに備えて強靱化するために、八ッ場ダムは必要なのです。

まだあります。TTPと増税も強靱化の妨げです。TTPに加入して、安い外国産品が入ってきたら、ふるさと再生は不可能になります。増税は、日本の景気低迷に追い打ちをかけるばかりか、被災者の困難に追い討ちをかけるものにしかなりません。こんなことを今やるのは、それこそ愚の骨頂というものです。

大急ぎで東日本復活五年計画と列島強靱化十年計画の概略を、ごく外側だけなぞってきましたが、日本の強靱化のためには重要なものが抜け落ちています。それは安全保障の問題です。日本の強靱化にこれは不可欠ですが、今回は自然災害に絞り、他は割愛しました。

 

復興資金は十分に調達できる

ところで、これまで述べてきたことをお読みになって、それをやるには大変な金がかかる、莫大な財政赤字を抱える日本にそんな金はない、到底実現不可能だ、と思われた方が多いのではないでしょうか。だが、それこそが迷信であり、呪縛なのです。

確かにお金はかかります。私の試算では東日本復活五年計画の行政負担分だけで二十三兆円はかかります。もっと膨らむ可能性も大いにあります。列島強靱化十年計画はこれよりもかかります。延長されたら、なおさらです。ざっと百兆円近くにいくかもしれません。

しかし、たかがこれだけの投資で東日本が復興し、強靱になることを思えば、決して高いとは言えないと思います。

私は百兆円を「たかが」と言いました。これには根拠があります。いま国民の総資産は千四百兆円にのぼっています。豊かさを求めて奮闘してきた戦後の賜物です。これが貧しい途上国だったりしたら、世界銀行から借金しなければなりません。しかし、日本は、いわば「身内」が豊かなのです。お金は近いところから借りるのが一番。日本政府は国民から借金すれば、百兆円ぐらいの資金は大きな困難もなく調達できるのです。国債を発行すればいいのです。

しかも現状では金融機関は軒並み、デフレで運用先に困っています。お金を貸す先がないのです。行く先のない資金は百五十兆円に上るといわれています。政府が国債を発行するとなれば、喜んで応じるでしょう。

こう言うと、膨大な財政赤字を抱えて、これ以上借金を膨らませてどうするのだ、と思うかも知れません。しかし、日本の国債は九割以上が円建ての国内債です。外国から借金しているわけではありません。自国通貨で確実に返していけばいいだけのことです。そして、日本政府には日本銀行の協調という方法もありますから、十分に対応できます。

こう考えれば、復興と強靱化の資金は十分に調達できます。後は菅首相が国民に、金を貸してください、必ず返しますから、と言えばいいのです。またそれを言うことが、いま菅首相が発揮できる最高のリーダーシップではないでしょうか。

 

戦後は終わった強靱化へ新生だ

東日本大震災で私がもっとも強く感じたのは、これではっきりと戦後は終わった、ということでした。日本は新生して、豊かさから強靱化への道を歩んでいかなければなりません。

目指すべきは太い丸太のような「強固」な国ではありません。そんな強固なものは強い衝撃に合うと、ポキッと折れてしまいます。しかし、柳の木は強い衝撃にも折れることはありません。強靱とはこのしなやかな強さのことなのです。

日本人には強靱さの資質が伝統的にあると思います。それはいくつもの天災人災くぐり抜け、歴史をつないできたことに如実です。

そしていま、日本は物質的な豊かさを求めた戦後にきっぱり決別して、強靱な日本に向かって新生していかなければなりません。

新生とは、私にとってはお正月のイメージです。前の日と変わらぬ一日を迎えつつ、それまで積もった埃を大晦日に払い落とし、垢を洗い流して、気持ちを新たにして新しい年に向かっていく。これを日本人は伝統的な行事の中で毎年繰り返してきました。

東日本大震災は日本人が強靱さに向かって新生していくきっかけになった、というようにしなければなりません。そのためにいま私たちは「超大晦日」を迫られていると言ってもいいかもしれません。六十余年も続いた“戦後”に決別し、いまここから新しい日本の物語を紡ぐことを期するのです。

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