領土問題の本質を理解していない橋下大阪市長の「竹島共同管理」発言はどうしても看過できぬ

日刊ゲンダイ 2012年9月29日


日本経済の「虚」と「実」~新聞報道に騙されるな!~⑬

領土問題の本質を理解していない橋下大阪市長の「竹島共同管理」発言はどうしても看過できぬ


京都大学大学院教授 藤井聡


橋下大阪市長については今、様々な大手メディア上で、閉塞した現状を打開する「決断力」を持った政治家だと見なした様な報道が繰り返されている。

しかし国民にとって真に求められているのは「正しい事を決める決断力」なのであって、「間違った事を決める決断力」では断じてない。そんな決断力は百害以外の何物をも国民にはもたらさない。当たり前だ。

そして残念ながら、橋下市長はそんな「間違った事を決める決断力」を異様に肥大化させた人物である。筆者はそれを明らかにすべく、維新八策に並べ立てられた諸施策がいかに国民を不幸にさせるのかを一つずつ論証せんと考えているのだが、つい先日、どうしても看過できぬ橋下発言があったが故に、今回はその点について論じてみたいと思う。

「竹島問題」である。

9月23日、橋下はある討論会で竹島の現状打破のために「日韓共同管理を目指すべき」と発言した。そしてその後のツイッターで、今日の膠着状況を打開することが大事なのであって、そのためにも共同管理を目指せばいいのだと解説している。

この発言に対して多くの国民が大きな「違和感」を抱いたことであろうし、中には大きな「憤怒の念」を抱いた国民も多かったのではないかと思う。

この発言は、彼の人品骨柄が領土問題の「本質」を理解できぬ程に卑俗なものにしか過ぎぬことを明らかにしている。

そもそも領土問題の本質は、管理や資源といった「損得の問題」では断じて無い。それは日本国民としての「誇りや倫理の問題」だ。例えて言うなら「山賊にさらわれた妻を取り戻すか否か」という問題が究極的には「損得の問題」ではなく「誇りや倫理の問題」であることと全く同じだ。妻を山賊と共に「共同管理」する輩は人ではない。畜生だ。

そういう大局観・倫理観を主軸としながら、時に断腸の思いで捨て駒を使う事も厭わぬ程にあらゆる戦略をとり続ける不屈の精神性こそが、「政治家」に求められる資質だ。そしてそういう精神性を持たぬ卑俗な人物は、詐欺師紛いの商売をする人物にはなり得ても、断じて「政治」に手を出してはならないのだ。つまり今回の橋下発言は、彼自身が私利私欲のための政治「屋」にはなれることはあったとしても、国家公共のための政治「家」には断じてなれないことを白日の下に晒すものなのである。

───もちろん筆者がここまで断じている真意をどれだけの国民にご理解いただけるのかは筆者には分からない。しかし筆者はそれはそれで構わないと考えている。なぜならこうした大局的な倫理の本質関わる事柄については、心に届き得る読者にだけに届けることだけが筆者の願いだからである。

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