「談合」を法制度化せよ

日刊建設工業新聞 所論緒論2009年 8月19日

 

「談合」を法制度化せよ

 

京都大学 大学院都市社会工学専攻 藤井聡

 

「建設業界は,“談合”の巣窟(そうくつ)である.建設業者は官民グルになって,甘い汁を吸い続けてきた¾¾」,おそらくは,マスコミ世論における一般的な建設業界に対するイメージは,こうしたものであろう.

確かに,“談合”によって甘い汁を吸い続けた役人や建設業者が「存在していたこと」は間違いないだろうし,“談合”によって発注が不当に高価となった事例が「存在していること」もまた間違いなかろう.

しかし、よくよく冷静に考えてみるなら、「問題ある談合が存在している」のだから、「談合そのものを無くしてしまうべきなのだ」という主張は、かなり飛躍した論理であることが見えてくる。くはだ、るといるてはて,不当に高価な発注・受注となった事例も

例えば、「家族」というものを考えてみよう。

家族といえば、談合とは異なり何がしか“善きもの”と見なされている傾きが強いが、実は、様々な問題を生み出す「元凶」でもある。「家族」があるが故に、「嫁姑の確執」が起こるのであり、夫や妻の「不倫」という問題も夫婦という概念を生み出す「家族」があるからこそである。

しかしだからといって「家族は解体すべきなのだ」、と一足飛びに考える人々はほとんどいない。なぜといって、家族があるからこそ多くの人々は、子供を適切に教育する場を得、心の安寧を得、共同生活を通じて出費を大幅に削減することができるのであり、だからこそ我々は、一部の「家族」に問題があるからといって性急に「家族制度そのものを解体せよ」とは叫ばないのである。

同じようなことが、「談合」にも言い得る。

「談合」があるからこそ、(今風に言うところの)“ワークシェアリング”が可能となり、大小様々な建設企業が生き残ることができる。そしてそれを通じて雇用の安定化がもたらされ、地域経済の安定と発展、さらには安定的な「技術伝承」が担保されることとなる。さらには生き残った中小の建設業者によって、彼らしか知り得ぬ地域的な様々な事情を勘案した「当該地域にとって合理的な建設事業」が可能となる。

この様に、「談合」は、様々な問題を生みだす原因となり得るものであるとしても、「社会的に望ましい様々な機能」を発揮しうる(法律学的には“慣習法”とも言われる)立派な一つの「制度」なのである。それにも関わらず「談合という制度」そのものを解体しまうなら、その望ましい諸機能が全て喪失されてしまいかねない。それは、家族があるからこそ嫁姑の問題や不倫の問題が起こるのだから家族を解体してしまえばよい、という愚論と論理的には何ら変わりはしないのである。

だとするなら、「談合」という制度によってもたらされる諸問題への対処を考えるなら、その制度の“解体”を考える前に“改善”を考えることこそが求められているのではなかろうか。そうすることではじめて、談合が果たしてきた社会的に望ましい諸機能を次世代にも伝承しつつ、その問題点を最小化し、解消していくことが可能となるのではなかろうか。

そもそも、談合とは“話し合うこと”(広辞苑)であり、本来それ以上の意味を持つ言葉ではない。何にもまして「話し合い」は、様々な社会的問題を乗り越えるために我々人間に与えられた、最も強力なる「武器」である。そうである以上、我々が為すべきことは談合という制度の“解体”であるはずはなかろう。家族にほころびが生じたのなら、それを解体するのではなくそれを改善するように、談合に伴う諸問題を解消することを目指した談合という制度の“改善”こそが求められているのである。そうであればこそ、“談合”の存在そのものを是認し、その上で、その問題点を最小化しつつその有効性を最大化し得る“望ましい談合のかたち”を指し示すような新たな法制度の整備こそが今、求められているに違いないのである。

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