【エネルギーの選択】日本の針路は〈70〉

電気新聞 平成24年10月12日

 

【エネルギーの選択】日本の針路は〈70〉

京都大学大学院工学研究科教授 藤井聡


◆国民的議論に疑問
巨大災害などに備えた「国土強靱化」を提唱する論客として活躍する藤井聡・京都大学大学院工学研究科教授は、社会科学にも精通する立場から「電力たたき」が発生する世論の構造を「権威あるものをたたきたいという大衆のルサンチマン(怨恨)」と説明する。「国民的議論」によってエネルギー政策の方向性を決めた政府の意思決定プロセスにも疑問の矛先を向け、「原子力ゼロ」の代償として「経済的な大損害、エネルギー安全保障の低下という問題は確実に起こる」と指摘する。(聞き手=土井 啓史)

◆世論恐れず“電力”守れ
――東日本大震災以降、「電力たたき」とも呼べる風潮が広がった。
「社会学的には、この現象は近代社会の到来以降、ごく一般的なものとして読み解くことができる。その根底には『ごう慢で退屈な』大衆の中にある、崇高な、権威あるものをたたきたいというルサンチマンがある。原型は18世紀のフランス革命だが、日本でもこの20~30年、こうした傾向が顕著になってきた。従来は『土建屋』『自民党議員』たたきがその典型だったが、福島事故を契機に電力会社もターゲットに加わった形だ。いずれも『日本を支えてきた人々』をあげつらうという点で本質は同じだ」

◆エネ政策を軽視
――政府の「革新的エネルギー・環境戦略」の策定には「国民的議論」が大きな判断材料となった。
「本来、政治はルサンチマンに基づく世論の暴走を防ぐために編み出された人類の知恵なのだが、今やそのタガが外れ、民の欲望が爆発してしまっている。しかも時の政権は、民の言いなりになって国を動かしている。それが『2030年代の原子力ゼロ』となって結実してしまった。国家の命運に関わるエネルギー政策の決断は、国民的議論と分けて考えるのが普通だ。今回の政策決定が国民的議論に基づく体裁を取っていること自体、政府内でエネルギー政策に対する基本的認識が欠如していることの証左であり、国益の観点からも許しがたい」

――「原子力ゼロ」がもたらす負の影響は。
「明確に言えるのは、原子力を代替する火力用燃料の購入増による経済被害の大きさやエネルギー安全保障上の危機、さらに保守の論陣から提起されていることだが、原子力技術を放棄することによって、日本の潜在的な核抑止力を閉ざしてしまうという懸念がある」
「原子力ゼロとともに電力の完全自由化・発送電分離も進めようとしているが、その背景には『電力供給はさほど難しいものではない』という技術への過小評価があるのではないか。実際、電力会社に匹敵する技術力を持つ企業が国内に果たしてあるのか。技術力なくして自由化が目指す価格の引き下げなど不可能だ。それでも市場を開放するということになれば、日本の台所を外資に握られるという事態も想定しなければならない。そもそも電力会社は数学モデルを駆使したオペレーションズ・リサーチによってシステムを最適化しているのに、発送電分離をすればそれも難しくなって当然無駄も増える。日本の電力供給に関しては、市場原理よりも発送電一貫が有効なのは明白だ」

――原子力停止がこのまま続けば、多くの電力会社で値上げが避けられないとの見方もある。
「無から有を生み出すことができない以上、値上げは必要だ。ただその際に『この会社にはこんな無駄がある』といって電気代にほとんど影響しないようなコストの削減を求めるのは的外れだ。むしろ現下の安定供給が電力会社の『持ち出し』によって支えられていることはもっと着目されてよい。本来は追加費用を返還してもらってもよいケースと考える」

◆徹底抗戦も必要
――政府が本来取るべき方策は。
「まずは、『電力会社を守る』のではなく『日本の電力を守る』という明確な目的を示して、国民に対する安定的な電力供給の確保を誓うべきだ。そうすれば、必然的に電力会社を守るという発想に行き着くはずだ。一日も早くそのような政権が誕生してほしい。学識経験者にしても、世論の反発を恐れず徹底的に説明する姿勢が大切だ。日和見主義的に動く学者とは徹底して戦うことも求められる」

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