藤井聡:まちづくりを志すものは、国づくりを忘るべからず

金沢LRTだより(Vol.5)、2012.


まちづくりの思想(4)

まちづくりを志すものは、国づくりを忘るべからず 


京都大学大学院教授 藤井聡


    今、全国各地で、生き物としての「まち」が、病気に陥り、活力を低迷させ、そして、死にかけようとしている。そして中には、実際に死に絶えてしまったまちも、至る所で観られるようになっている────これが今の日本の状況であり、その象徴的な存在が「シャッター街」である。

    まちづくりというものは、そんな風にして不健康になってしまった生き物としての「まち」の健康を取り戻すための取り組みだ。

    だとすると、そのまちづくりのために、まず第一に必要なのは、病気になった患者を治癒せしめんとする医者が、その病状を性格に診断しその病因を明らかにすることが先決である様に、いわゆるシャッター街化という(やまい)の病状を正確に診断し、病因を明らかにすることだ。そうした正確な診断があってはじめて適切な治療法・処方箋が示されることになるのであって、不正確な診断は、病状を悪化せしめる様な不適切な治療法・処方箋をしか導き出し得ない。

    前回は、全国のまちの病を治療するためには、まちを「安静」にした上で、「栄養分の注入」を進めていくことが不可欠だ、という病の治癒における大原則に関わる基本認識を指摘したが、今回は、より具体的に、病因を特定することとしよう。

    多くの街が患っている病の第一の病因、そして第二の病因は、前回にも指摘した通り、モータリゼーションと規制緩和である。

    モータリゼーションとは、自動車社会の進展を言う。人々が移動する際、自動車、つまりいわゆる「クルマ」を利用する傾向がどんどん増進していく様な社会現象、それがモータリゼーションである。このモータリゼーションがなければ、人々は、クルマ以外の交通手段、つまりは、徒歩や自転車、電車やバスという交通手段を使うこととなる。徒歩や自転車という交通手段は、移動距離が短い。だから必然的に、人々の行動範囲は限定的なものとなる。その結果、徒歩や自転車を人々が使い続ける限り、住む場所と買い物や働く場所が近接していくこととなる。一方、電車やバスという交通手段を使えば、人々の行動範囲は拡がる事となるが、それでも、駅やバス停の周辺に、その範囲は限定されることとなる。つまり、クルマ以外の交通手段は、必然的に、人々の行動範囲が限定されることとなるのだ。ところが、クルマという交通手段は、自由な場所に行く事ができるため、行動範囲が格段に拡がる。その結果、人々がクルマを使えば使うほどに、まちから人から離れ、シャッター街化してく。

    第二の病因である規制緩和では、かつては郊外に大きなショッピングセンターを立地させることが困難であった一方で、法律の改定によって、それが可能となってしまった。そうなれば、中心市街地の供給力に匹敵する、あるいは、それを上回るほどの数万平米もの超巨大ショッピングセンターが、巨大な駐車場と共に整備されていく。これによって、まちなかに訪れていた人々が、そして、その人々がまちなかに落としていたカネが奪われ、シャッター街化していったのだ。なお、こうしたショッピングセンター整備に投資するのは、多くの場合当該地域とは無縁の地域外の巨大資本家である。それ故、そんなショッピングセンターで集められたカネの多くは、他地域に吸い上げられてしまい、その地域全体が経済的に徐々に衰退していくこととなる。

    第三の病因は、日本全体を覆っているデフレーションだ。デフレになれば、全ての階層、全ての領域において弱肉強食が進行してしまう。それは、都市間競争、地域間競争でも例外ではない。デフレになれば、小さな都市、地域では商売が成り立たなくなり、どんどん、様々な企業が地方部から都市部へと移転いていってしまう。その結果、それぞれの地方都市の人口は、激しく減少していってしまう。そうなれば、まちなかの商店街は顧客をますます減らす事となり、結果、シャッター街化は進行する。

    第四の病因は、日本民族における、自分自身の家、ひいては、墓を守るという感覚、すなわち家意識、さらには、自らの地域やコミュニティを大切にする地域愛着やコミュニティ意識といった、「地域意識」の衰退である。こうした地域意識の衰退は、生まれ故郷から転居する可能性を増進させ、地方部からの人口流出を加速する。それと同時に、地域の商店街や地元資本の焦点で消費する傾向を低下させる。こうして、地域意識の衰退は地元商店街から顧客を奪い続けることとなる。

    第五の病因は、「コンクリートから人へ」に代表される「公共投資削減」だ。そもそも、戦後日本は、地方都市の衰退は、太平洋ベルト地帯を代表とした都市地域に集中的に公共事業を展開し、鉄道や新幹線、さらには様々な都市開発が進められた。その一方で、日本海側をはじめとする地方都市には、そうした投資は相対的に低い水準に押しとどめられてきた。これは、都市部において優先的に投資が進められ、地方部への投資は後回しにされたという歴史を反映するものだ。しかし、地方都市への公共投資を進めるべき時代になった頃から、日本中で公共投資の推進が差し止められる様になっていった。その結果、地方都市には鉄道やバス、あるいは、路面電車・LRTを含めた基礎的なインフラが投資されず、地方都市の衰退を年々深刻化させ、その速度は、上記のデフレーションの進行によって年々増しているのである。

    この様に、デフレーションの進展という経済的潮流、公共投資削減、都市計画上の規制緩和という国家レベルの政策方針、そして、モータリゼーションの進展と地域意識の衰退という社会的潮流という、近現代の日本国家の歴史を良きにつけ悪しきにつけ形づくってきた社会的・経済的・政治的なマクロな潮流の中で、日本中の地方都市の街々がシャッター街化してきたのである。

    それを踏まえるなら、シャッター街化を防ぎ、まちの活力の再生を期するまちづくりを進めるのなら、それらの街全てが含まれる日本という「国」そのものを見据えながら、日本全体のモータリゼーション、デフレーション、規制緩和、公共投資削減のそれぞれを押しとどめると共に、全国民の愛郷心、ひいては愛国心の涵養を推し進めるという、文字通りの「国づくり」の努力を重ねることが不可欠なのである。

    無論、それは、容易ではない。

    しかし、まちづくりを志し、それにその身を捧ぐ者は皆、そんな国づくりの推進こそがまちの活力の再生のために何よりも求められているのだというその一点を、如何なる時も忘れ去ってはならないのである。



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金沢LRTだより(Vol.5)、2012.

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