今年こそ「コンクリートから人へ」の方針を終焉させるべし、月刊セメント・コンクリート(印刷中)

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今年こそ「コンクリートから人へ」の方針を終焉させるべし

 

藤井聡

 

2012年は、2009年から始まった「コンクリートから人へ」という国政方針を、根本的に終焉させる年にせねばならない。

無論、「コンクリートから人へ」が日本国民の安寧に貢献し、国益に資するものであるならば、いかなる仕事を生業にしている者であったとしても、そして、それを推進することによって私的な利益が大きく棄損することがあろうとも、その国政方針を徹底的に支持することが必要であるに違いない。

しかしながら、「コンクリートから人へ」は、一切の疑いの余地も無いほどに、国民生活に大いなる“被害”を与えている。

第一に、「コンクリートから人へ」によって東日本大震災の被害は確実に拡大してしまった。もちろん、それがどの程度拡大したのかを定量的に推計することは容易ではない。しかし、予算削減さえなければ可能であった防災対策が存在していたことは間違いなく、かつ、より迅速な復旧、復興で可能であったこともまた間違いない。例えば、被災地にて建設業を長年営み、震災の復旧、復興事業に直接尽力してこられた建設事業者の方へのヒアリングにて「公共事業を真面目にやっていれば、被害は半分くらいで収まったのではないですかねぇ・・・」と発言されていたことを、一つの傍証としてご報告申し上げておきたい。ちなみにこの感想は、ある場所の堤防の高さが公共事業関係費の削減によって低いまま作ることになったという様な数々の現場を目の当たりにしてきた経験を踏まえての実感を伴ったご発言であった。

第二に、「コンクリートから人へ」の方針が採用され続ければ、これから近い将来にほぼ確実に訪れるであろう「平成関東大震災」や「西日本大震災」によって亡くなってしまう人々の数も、物的被害も、経済被害も、確実に拡大しつつあることもまた、間違いない。そもそも、それらの巨大地震は、今のままでは数百兆円規模の被害を日本に与えるであろうことが、政府の試算で示されている。その一方で数十兆円規模のきちんとした対策を行えば、その被害は半分程度に抑えられるであろうことも指摘されている。それにも関わらず、「コンクリートから人へ」の方針を未だに採用し続けている現政権では、そんな巨大地震対策が本格的に進められている気配は全く見られない。これでは、その方針は(機会費用という形で)数百兆円の潜在的被害を日本に与えていると解釈するが可能であろう。

第三に、上記の巨大地震以外にも、我が国は様々な地域における地震や津波、水害や土砂災害等の危機に晒され続けている。ところが「コンクリートから人へ」の方針が採用される限り、増幅されてしまった激甚なる災害が国民の身の上に降り注ぎ続けることとなるだろう。

第四に、疲弊の極みに苛まれ続けている日本全国の様々な地方部では今、「地域振興」が切実に求められている。そんな「地域振興」のためには様々な取り組みが必要であるものの、その中心的な対策の一つが交通インフラを中心とした様々なインフラ投資であることは間違いない。ところが、「コンクリートから人へ」の方針が採用されている限り、そんなインフラ投資が不能となっている。すなわち、「コンクリートから人へ」は様々な地域の振興を妨げ続けていると言いうるのである。

第五に、日本全国の様々なインフラが、今、急速に老朽化している。今この老朽化に対応していかなければ、これまで水や空気の様に使ってきた様々な社会インフラが、徐々に使えなくなったり、場合によっては人命にも関わるような深刻な事故が発生してしまい、国民生活に大きな支障が及ぶ事は間違いない。ここでもまた、「コンクリートから人へ」の方針は、国民に大きな潜在的な経済損失と人的損失を与えているのである。

最後に、「コンクリートから人へ」によって、我が国はデフレから全く脱却できない状況に追い込まれ、国民の所得は低いままに放置され、倒産も失業者も自殺者も高い水準を保ったままになってしまっている。今日の日本経済が陥っている問題の全ての根源はデフレなのであるが、そのデフレは、「需要が供給よりも少ない」ために「デフレギャップ(=供給-需要)」が存在しているために生ずる、マクロ経済上の重篤な病である。需要が少ないため、様々なモノやサービスの値段が低下し人々の所得が下がると同時に、先行き不安を抱えた各企業が投資を控えるために、ますます需要が減り、デフレギャップがさらに拡大する、という循環を繰り返すことを通して、倒産と失業が増え、国民所得が低下していくのである。この病を治癒するためには、その原因である「デフレギャップ」を取り除くしかない。そもそも、デフレギャップとは「需要不足」なのだから、政府が「公共投資」を行えば、それで需要が創出され、デフレギャップが解消され、デフレ病が治癒されるに至る。ところが、「コンクリートから人へ」が採用され続けている限り、デフレギャップは埋められず、デフレ病が治癒されないままに放置され続けることとなる。つまり、「コンクリートから人へ」という方針こそが、建設関連産業のみならず、日本中の全ての内需向けの産業の企業の収益を縮減させ、多くの会社を倒産させ、夥しい数の労働者を失業させ続けているのである。

これだけの激甚なる被害を日本国民に与え続けている「コンクリートから人へ」の方針であるが、これによって何かメリットらしきモノがあるのかと言えば、「政府の財政収支に貢献する」という点くらいしか考えられない。(あえて言うなら「無駄な公共事業が減った」ことがメリットだという向きもあろうが、万一それが真実であったとしても、予算を減額するのではなく、公共事業の内容そのものを見直せばそれで事足りる話だ)。つまり、「政府の借金をこれ以上増やさない」ということだけのために、上記のようなデメリットを全て日本国民が甘受せねばならなくなっているわけである。しかし残念ながら、この財政的メリットは単なる短期的なものに過ぎず、中長期的には、具現化するものではない。なぜなら「コンクリートから人へ」で今年度の支出は減ったとしても、それによってデフレが深刻化してGDPが縮小し、結果的に、次年度以降の税収が減少してしまうこととなるからだ。

以上を踏まえるなら、「コンクリートから人へ」という方針は、中長期的、かつ日本の国益全体の視点から言えば良いことなどほとんど考えられない一方で、激甚なる被害をもたらすだけの愚かなる方針だと言わざるを得ない代物なのである。

そうであるにも関わらず「コンクリートから人へ」の方針が未だに撤回されていないのは、偏に現政権政党がそれをマニフェストに掲げ、先の総選挙に勝利したからに他ならない。

何という馬鹿げた話なのだろう────。

我が日本国民が、この愚かしい状況から脱却し、「コンクリートから人へ」を終焉させるためには、現政権にそのマニフェストの撤回を促すか、あるいは今一度総選挙を期し、国益に叶う政策を採用する政党を改めて選択することしかない。そして万一、前者が許されぬのなら、後者の道を期待する他無いだろう───。

とはいえ、万一近い将来に総選挙があったとしても、ただ闇雲にそれに臨んだとすれば、再び愚かしい状況に我が国が追い込まれることになるやも知れない。そうならないためには、我々日本国民は、次の総選挙こそ耳あたりの言い言葉に惑わされずに、愚かしい状況に我が国が追い込まれることの無い真剣なる「選択」をしなければならない。民主主義国家である我が国日本において、迅速な震災復興と、被害を最小化する防災対策、そして、地域振興とデフレ脱却を果たし、安寧ある国民生活を期するためには、究極的には、我々一人一人の日本国民が真面目に、真剣に「選挙」に向き合うことこそが求められているのである。

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