“真の民主主義”のために適正なる批判を

日刊建設工業新聞 所論緒論2010年3月10日

 

“真の民主主義”のために適正なる批判を

 

京都大学 藤井聡

 

平成22年の2月,昨年の「事業仕分け」で“大活躍”した枝野氏が,行政刷新担当大臣に就任した日の夜の事である.全国ネットの民法のニュース番組で,鳩山首相が幾ばくかの笑みを浮かべつつ,その就任に関連して次のような発言をしている姿が放映された.

「できるだけ早く,国民の皆様に,また,『民主党らしさが戻ってきた。事業仕分けやってるな』といっていただけるような姿を見せていきたい.」

筆者はその放送を目にして,唖然とした心境,というよりはむしろ,何か質の悪い冗談か何かを目にしているかのような心境になってしまった.

曲がりなりにも「事業仕分け」は,数兆円規模の税金の使い道に関わる重大な国家的取り組みである.政府の国家的取り組みは,国益,公益に叶うものでなければならず,それ以外の目的は一切含まれるべきものではない.したがって,万が一にでも国策実施の裏に“人気取り”という動機が幾ばくかでもあったとしても,その側面は公言せぬか,あるいは口にする機会が仮にあったとしても,それは恥ずかしげもなく口にするようなものではないはずである.

ところが,先の首相の発言は,「わたしたちは,国民の皆様に気に入って頂くために,数兆円規模の税金の使い道を変えていくんですよ」と,公言しているに等しいものである.

もちろん,全ての国民が,“公共投資の乗数効果”や“失業率と財源出動との関係”,“社会インフラと国力の関係”等を知悉していると断言できるなら,国民のお気に召す施策を実施することが即国益に繋がることとなろう.しかし,実際にそれらを知悉する国民は限られているのであり,だからこそ,長期的公共的な判断を専門的に採り行う機関として国会や政府が設置されているのである.そうした自明の前提を踏まえるなら,先の首相の発言は「国益を損ねてでも,国民の人気を得るために,事業仕分けを行うんですよ」と言っているに等しいものとすら言えるのである.

しかし,それを解説するニュースキャスターは,その点を批判する気配は一切無かった.むしろ,キャスターはそのニュースの見出しとして「国民の人気の高い事業仕分けを通じて,民主党の浮揚を図り,参議院選挙に挑みます」とあっさりと解説したのであった.つまり,そのキャスターにとっては,政府が人気取りのためだけに数兆円規模の財源を右から左にすげ替える事など,取り立てて目くじらを立てて指摘する程のこともない,当たり前のことなのである.

そしてさらに恐ろしいのは,ニュースキャスターのそうした認識は,我が国の国民の平均的な認識を反映したものに違いない,という点である.なぜなら,視聴率を重視し,かつ,苦情対応に追われ続けているテレビ局においては,ニュース論調の“国民のお気に召す方向への調整”は,ほぼ完了していると考えて差し支えないからである.

すなわち,我が国は今や,数兆円の予算を削ったり付けたりすることが,単なる政権政党の支持率を上げるためだけに実施されていたとしても,多くの平均的国民は何とも思わない,というような事態に陥ってしまっているのである.

これからまさに行われようとしている“政権政党の人気取り”を主たる目的とした事業仕分けによって,国益,公益に資するであろういくつもの事業が廃止されようとしている.そしてその流れを止める力を持つ者はこの平成の世にはいないのかもしれない.しかし,少なくとも本稿のように,一国の首相の恥ずべき言動を,新聞という公器の中で糾弾することならできるはずである.そうした“言論の自由”なくして,真の民主主義が我が国に訪れることなど有り得べくもないのである.

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